「あんた」と呼んでくれたあんたのこと、私はずっと覚えとく | てっちゃんの明日を探して

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小説やドラマの感想、それと時事問題について、思ったことを書き殴るブログです。

ずっと片付けなければと思いながらも、手をつけられていなかった場所。

それが壁掛け式のレターボックスだ。

今日こそは絶対にやるグー

と心を決めて、片付けに取りかかる。

どうしても捨てられない大事な書類以外は、全部処分する覚悟で!

あと、(時間が3倍かかるから)手紙や年賀状は読み返さない、と心に決めて!!

 

しかし、後者はあえなく失敗ショボーン

どうしたって読んじゃうよね、それはおいで

 

何年か前にも片付けて、そのときもかなりいろいろ処分したんだけど、どうしても捨てられずに取っておいた手紙がいくつかあった。

過去の手紙たちを読み返してみると、忘れていたあれこれや、記憶が遠のいたあれこれが蘇る。

息子の離乳食がうまくいかない不安、義父母への不満、親しい人の死の衝撃。

 

そうした手紙のおかげで、すっかり忘れていた、というか記憶にまったくない、あることが判明した。

それは高校時代の仲良し、Hからの手紙。

Hは部活の仲間で、悪友だった。

当時も交換日記をしていたほど互いに筆まめなので爆  笑彼女からの手紙は必ず便せん4~5枚になっている。

そうした手紙のうち、たぶん最初に書かれたであろうものが残っていて、どうやら私と彼女は高校卒業前に仲違いして、何年もの間、会っていなかったらしいガーン

え、そんなんぜんぜん忘れてた!ポーン

いや、突然、彼女に縁を切られそうになったことは覚えているけど、私の記憶ではすぐにHが許してくれて、それまで通りに戻った、ってことになっている滝汗←都合良く記憶を「ねつ造」か?

会っていなかった、という認識は私にはない。

でも、その手紙には、みんなが大学に進学するのに自分だけが就職で寂しかったこと、希望を語るみんなが楽しそうで辛かったこと、それで八つ当たりしてごめんね、と何度も書いてある。

 

そして、ここからがまったく記憶になかったことなんだけど。

その手紙でHは私に、何度も「あんた」と呼びかけている。

「あんたは何も悪くないんだよ」「あんたの言うことの方が正しかった」「あんたに会いたかったけど、一方的に傷つけたから会えないと思ってた」。

あんた。

私の記憶が確かなら(そしてそれはかなりアヤシイが💦)、私を普通に「あんた」と呼んだ人は、人生のなかでたぶんHしかいないと思う。

ほかの仲良しの友達は、みな名前の呼び捨てか、「ちゃん」づけだ。

 

ババアになった私は今、しみじみ思う。

人生にひとりでも「あんた」と呼んでくれる友達がいてよかった。

私とHが過ごした時間は、ほかの誰とも違う、特別な時間だった。

仲間と一緒にひとつのものを作り上げ、同じ夢、大好きなことに向かって爆走していた時間。

ど田舎のダサダサな女子高生だったから、キラキラしたJKにはほど遠かったけど、毎日がただ楽しくて、恐いものなんか何もなくて、怒られても、成績が悪くても、彼氏いなくても、バカみたいに笑い転げていた時間。

あんな時間は「あんた」とともに、もう二度と訪れない。

 

Hとは今も仲良しで、年1くらいで会っているけれど、いまのHは私を「あんた」とは呼ばない。

私が忘れていたように、彼女もたぶん、自分が私にそう呼びかけていたことを忘れているだろう。

「あんた」の時間は、もう終了してしまったのだ。

まあ、いいさね。

その呼び名は10代の私たちだけの、特別な印だってことにしよう。

あんたが忘れても、私がずっと覚えておく。

それでいいよね?