ざ・松永...。 | 日は照るとも 絶えずとうたり テッピンブログ  ~松永鉄一朗~

日は照るとも 絶えずとうたり テッピンブログ  ~松永鉄一朗~

2020年松永鉄九郎門下として、松永鉄一朗を襲名しました。
鉄九郎師匠大阪お稽古場での様子や神戸での邦楽イベント情報などを中心に綴ってまいります。
古典芸能の楽しいところをたくさんお届けできるように綴って参ります。
よろしくお願いいたします。


私の人生を変えた一日だったかも知れません。

数年前の東京赤坂での一枚。
仕事で上京して週末をかけて一泊。
その日にたまたま松永会が開催された日でした。

春の陽気に誘われて紀尾井町で会を拝見して、ラストの勧進帳に感動して…そのままお誘いいただいて、松永流のお師匠様方みなさんと短い時間でしたが過ごせました。

何か異次元にいるような不思議な時間でした。
私が東京にいることも…松永会を見に行ってることも…偶然的な必然だったかもしれません。

それまで出来なかったことを…まるで前世の悔いを無くすかのように引き寄せられていったのを覚えています。
一気に人生の駒を動かしてしまったかもしれません。
でも、思ったことができてうれしいし、面白いです。

うちの家内は私を見て喜んでくれています。
良かったなぁと…ずっと私が持ってたことを知ってたのは私が若いころから三味線持ってたことを知っている家内だったかもしれません。
誰に憧れてもいいのに言えなくて、出来なくて…そのうち三味線から離れてしまって…。

それまでやってきた三味線を0に戻したような生活をしていましたから…ただの仕事だけしかできない無趣味のお父さん。
子供が小学生の頃、三味線引っ張り出してきて弾いて見せたのですが、それは片言の英語に聞こえたくらいのモノだったのではないでしょうか。

私が知っていた鉄九郎さん(師匠)とヒロキさん(忠次郎師匠)に35年ぶりの再会。そして家元のご子息忠三郎師匠。和佐次朗,考次郎師匠、鉄十郎師匠方と過ごした夜から30数年…。
いやぁ不思議な夜で…。

この後から更に偶然的必然が起こっていきました。
そして、私は自分の心に昔からあったものを取りに鉄九郎師匠の門下へと変わっていきます。

しかし、門下となってまた、それはそれで父が会わせてくれたのでしょう。
一番近い存在だろうと鉄九郎という師匠に父を重ねて師匠の教えを頂きに行きましたが、それはまた全然違う鉄九郎師匠という絶対的存在を見ました。

ほぉ…見たことのない感じのお稽古場と各お弟子さんのやる気…。
なんなんやろう???
競っているわけではない。協調性もあって実に和やかなお稽古場です。
ベテランの兄弟子、姉弟子の皆さんは師匠が何も言わなくても阿吽の呼吸で動いてる感じがして、そこに新しい長唄の師匠を見ました。

音とか弾き方とか…ここへ行けば教わることが出来るというのが凄い…。
撥の持ち方ひとつで悩みまくってある時は会を見に来てくださっている方にビデオを撮ってもらいながら、考え込んでいるときもありました。

教わりたいこと、教えを乞う事ってホントに難しいんだと感じていたのが…ここなら師匠に聞けばいいし、相談したら教えてくださる。
弾けない手の所のちょっとした工夫だって惜しみなく教えてくださる。

とか、私だったら私の特徴に合わせた打開策も探ってくださる。
これは心酔するわな…。
もう、和佐次朗の後を追いかけてきて入門したのと違います。
いま、それとは別の世界観の中で師匠の弟子としてやっていこうとしています。

おさらい会が終わり、名前もいただき…私の中には憂いがありました。
次の曲と言ってくださる師匠に…言ってた曲もありましたが…よう考えると、松の緑や岸の柳、越後獅子...みなさんが入門されて、すぐにやる曲を師匠に習ってなぁ~いのです。

それもあって、恐る恐る師匠にLINEしてみたら、バッチリの答えが返ってきました。
私もそう思います。何を難しいとこに行こうとしているのか…まだ、そういう初段の曲が私に弾けるかも判らないんだった…。

現に越後獅子は小学生で鳴り物習ってる時からよく間違うので、苦手なリズムなんです(笑)
それをやらんことには次へ行けぬという覚悟で一からやり直します。

心が挫けそうになったら鞍馬山弾いてごまかします(^^)

早弾きしそうになったら多摩川思い出してゆっくり弾きます(^^;)

間で困ったら喜三の庭弾いて心を落ち着けます。

まっ、松の緑は小学生以来…越後獅子は文化教室以来…岸の柳なんざ...お初でござんす(^^)
まとめてかかってきやがれ~~~~。

天上天下唯我一番大好き!!!!←自分が一番かわいいタイプです(笑)
頑張れ俺!!

仕事中の東京での姿はこんな感じでした(笑)
絶賛本業の営業中です…。