須磨ん人…。 | 日は照るとも 絶えずとうたり テッピンブログ  ~松永鉄一朗~

日は照るとも 絶えずとうたり テッピンブログ  ~松永鉄一朗~

2020年松永鉄九郎門下として、松永鉄一朗を襲名しました。
鉄九郎師匠大阪お稽古場での様子や神戸での邦楽イベント情報などを中心に綴ってまいります。
古典芸能の楽しいところをたくさんお届けできるように綴って参ります。
よろしくお願いいたします。

テッピンの生まれは兵庫県神戸市。
神戸は兵庫県南部です。

特徴は海と山の距離が近くて六甲山の山頂から海岸線までが、1時間かからずに到着するような土地です。

更に神戸市の西の方にある須磨という地名。
山と海の距離はさらに近くなって鉄拐山という山のすそ野は源平合戦で有名になった一の谷というところ。
山のすそ野=海岸線のような場所です。

砂地が見えるのは須磨海水浴場。
関西圏ではわりと有名な海水浴場です。
そんな須磨という地名の由来は海と山の距離が狭くなっていることから(隅っこ)が訛って須磨となったという説もあります。
 

その須磨海岸もいまは広い砂浜がありますが、私が生まれた昭和30年代は砂浜じゃなくって石ころがゴロゴロ…。
おじいさんと孫の戯れる写真でございます。
祖父松永鐵吉治と私のオフショット。
三味線構えた祖父の写真はたくさんありますが、こんな写真は珍しく遊んでもらった記憶は少し残ってます。
もちろん、もう少し大きくなってからですが…。
 

この人が私の名前を付けた方…当時は神戸でお弟子さんを持ち会も盛大に開いていた。祐一の祐はゲンのいい名前で…一はもちろん長男だから…。
そんな感じで付けてもらった一の字を鉄九郎師匠に選んでいただき、鉄一朗に入れていただきました


松永忠五郎家元によると祖父は元々新内からの長唄転身でその節は新内っぽかったとか…(^^)
そんでもってこの祖父の三味線DNAを継いだのが…和佐次朗さんなのであります。

その大切なDNAの中にある才能を和佐次朗さんが余すことなく持って出た為、鉄一朗にはぽか~んと穴の開いたちくわのような才能しか伝わっておりませんのでございます(^^)

何はともあれ風光明媚な須磨という土地。
かつては源平合戦の物語がとても多く残るところ…長唄の節にはいくつも出てくる源平の世の物語。
勧進帳、五条橋、橋弁慶、船弁慶、鞍馬山…あ~まだありそな気がする…。

長く須磨の土地を離れて暮らしておりますが…
祖父との写真は大切にしまっています。
それにしても刈り上げの後ろ姿が昭和やなぁ…(^^)