ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第10章(最終章):未来に向かって | 元ダメ院生の旅と生涯教育ブログ

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前回は「ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第9章:それぞれの旅立ち」です。


2019(平成31)年3月30日・31日。

「平成」に代わる新元号の発表が翌日となったこの日、私は「Hello! Project 20th Anniversary!! Hello! Project ひなフェス 2019」に参戦した。

平成最後のライブ参戦となった。
℃-ute解散ライブ以来のハロプロのライブ参戦、さらにハロプロメンバー全員が一堂に会するライブへの参戦は、実に5年ぶりだった。

かつてハロー!プロジェクトで活動していた、辻希美さんと加護亜依さんのユニット「W(ダブルユー)」の復活にも注目していたが、
私は鞘師里保さんの復活が最も気になっていた。

モーニング娘'15を卒業した鞘師里保は、以降は活動を休止しつつもハロプロには引き続き在籍していたが、目立った活動はなかった。
2018年11月には事務所との専属マネージメント契約が終了し、同時にハロプロも卒業となっていた。
そのような中での彼女のひなフェスでのステージ復活は、大きな話題となっていた。


そしてひなフェス当日、
待ちに待っていた、りほりほの登場。曲は「Only you」「One・Two・Three」。
会場は最高潮に高まり、ステージは彼女のイメージカラーだった赤一色に染まっていた。

 

復活のりほりほは、まさに圧巻のステージといった印象で、往年のエースの貫禄が平成最後に蘇ったという気がして感動した。
ひなフェス2019は、私にとって平成最後、最大の思い出であった。


ちょうど℃-ute解散ライブの直後から、私は官公庁から研究とリサーチという今の仕事へ転職していた。
ひなフェスは、今の仕事を始めてから初めてのハロプロライブ参戦だった。

鞘師里保の復活は、私の中でどこか、止まっていた時計の針が動き出すような印象だった。


思えば中学高校の時、ラジオが好きでそこから声優さんが好きになった。その時から少しずつ歌や芸能という世界に憧れるようになっていった。
大学へ進学すると、学問を研究することはアーティストのようであると思っていき、そこから大学院への進学を決意するようになった。

ところが研究は決してアーティストな世界ではなかった。
特に私が専攻した公共政策という分野は、新たなものを産み出していくという研究分野ではなく、既存の仕組みを理解し組織社会に効率よく還元していくという特異な分野だった。
それは今日の日本の政治行政、官僚制、統治機構を見ても明らかである。
稀に斬新な発想の政治家が、斬新な政策で地域や行政が一時変わるとことはあっても、そこから新たな社会制度が構築され日本全体が変わっていくことは滅多にない。日本の行政は常に前例主義である。

私は試験にさえ受かればよいという発想で公務員試験を受けたものの、その発想とのギャップ、いや単なる自惚れと勘違いに気付くことがなく失敗してしまっていた…

それでも入職した大学病院。その在職中に起きた2011年の東日本大震災。
夢を失わない精神は新たな職歴となり、転職につながっていった。

そして年月をかけ、研究職という道にたどり着いていた。
ハロプロは私をここまで導いてくれたのである。



ひなフェスの翌日、2019(平成31)年4月1日、
平成にかわる新しい元号「令和」は発表された。

私の人生の節目となった、さいたまスーパーアリーナでのBerryz工房単独ライブから12年目の日だった。

「令和」の出典は日本最古の歌集、万葉集の梅花(うめのはな)の歌から採用されたものである。
日本の元号は確認できる限り、すべて漢籍(中国の古典)から採用されており、日本の古典から採用されたものは初めてであった。


日本では古代から多くの歌人が、梅や桜の木の下で多くの和歌を詠んだ。

小野小町が詠んだ"花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに"という和歌は、
どこか現代の女性アイドルにも通ずるものがあるように感じる。

華やかな歌もあれば別れの悲しさもある。
菅原道真が詠んだ"東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ"には、
都を不本意に離れる淋しさが込められている。

平安貴族の栄えた時代もあったが、一族の繁栄ばかりを考えた藤原家は決して長く続かなかった。
武士が台頭してもやはり平家は滅んでいった。
"祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり"から始まる平家物語。
栄枯盛衰の悲しさを感じるものである。

戦国の時代を経て平和な江戸時代、元禄・化政文化の時代には、花見は庶民の娯楽として定着していった。

 

江戸から明治に時代が移ると、これまでの鎖国体制の日本から、明治は文明開化の時代となった。

"春のうららの隅田川"の歌い出しで始まる、滝廉太郎作曲の「花」は、現在の洋風音楽のスタイルの歌をもたらし、まさに日本の音楽文化を一新させた名曲である。

しかし一方で近代は、欧米の列強に対抗するため、また植民地を拡大するため、戦争も起きていった時代でもある。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、そして先の第二次世界大戦、太平洋戦争…

 

昭和初期、美しく散っていく桜は戦死を美化させたこともあった。

軍歌「同期の桜」には、それが如実に歌われている。靖国神社の桜には戦争の悲しさと命の尊さを感じるものである。

戦後、日本は平和と繁栄を成し遂げた。桜を舞台に多くの歌も生まれていった。

Berryz工房の「桜→入学式」や℃-uteの「桜チラリ」、Berryz工房×℃-ute「甘酸っぱい春にサクラサク」、こぶしファクトリーの「桜ナイトフィーバー」など。

ハロプロにも多くの桜の歌がある。

そして今、私たちはこれまでの歩みを振り返り、文化を育み、一人ひとりが花を咲かせる時代。
新元号「令和」にはその願いが込められている。

 

季節は再び春。
私は2007年以来、毎年4月をBerryz工房の「桜→入学式」を歌って迎えている。

 

 

私がハロプロを追った時代は決して平坦な道ではなかった。
厳しい冬を超え、私の心に再びハロプロとともに咲いた桜を咲かせなくてはならない。

私は再び、夢の実現に向けて歩み出したいと思う。

冷たく長い冬を越えたから、大輪の桜が美しく咲く。
私は今、「桜→入学式」を桜満開の中で聞くことができる。

いつまでもいつまでも、散ることのない桜…
「桜→入学式」は永遠に私の中で、将来への希望と夢とともにこれからも歌っていきたい。


大学で教職を履修したとき、Berryz工房を知った。
彼女たちの歌を聴いて、昔の自分を思い出し、教育に関して学問を極めようと思った。
高校時代のつまらなさを払拭するために進学し、結局はハロプロにハマリまくってしまった大学時代も、それは学問の楽しみに目覚めたきっかけでもあり、教員免許の取得や留学など、多くの出発点となった。

思えばそれまでは、勉強も学校に通うことさえも義務感で生きてきた。その逃避から数々の娯楽を楽しんできた。
だが代えがたい感動と優しさに出会えた時、義務感ではなく楽しさや使命感が生まれた時、人生は大きく変えることができる。
私にとってハロプロは人生を変えた存在だった。


2007年のBerryz工房のファンの集いで、佐紀ちゃんとももちに自分が教員免許を取得したことを話した。
その時ももちは、興味深そうに聞いてくれていた。

そのももちは、教員免許を取得した。
私のそんな発言が、彼女の人生やアイドル活動に影響を与えたとは思えないが、
私にとって、ももちが引退後に教育者の道を選んでくれたことは、最大の「爆レス」に感じている。


教育とはその国の社会と国家の形を継承するもの。これは教職課程で最初に習うことである。
今、多くのアイドルはハロプロに憧れアイドルとなり、そして今日のアイドルブームを作った。
彼女たちは確かにアイドルブームという日本の文化を作り、そして継承したのである。

私はそのような教育分野の研究が、自分の中で終わっていないように感じている。


公共政策と法律分野の研究。これもまた応援されてきたことである。
大学院は本当に辛かった思い出しかない。しかし常にアイドル現場と、そこで生き生きと活動し、ひたむきに努力を重ねるメンバーの姿があったから、私は大学院を修了できたと思っている。

法律や政策は国家社会の基盤である。
今、日本に真のリーダーはいるのかと思う時がある。
世界に翻弄され、既存社会の制度やしがらみに翻弄され、ついには狂信的な思想さえ蔓延しているのではないか。

ハロプロは常にメンバーが入れ替わるフレッシュなグループである。それこそが単なるブームで終わらないアイドルグループを確立してきた秘訣であると考えられる。
「ブームからは何も生まれない」と安倍総理大臣は言った。しかし理念を確かにし、教育とその制度を確立すれば、新たな人材が次の社会を構築していくことができる。
それは他でもない、ハロプロとアイドルブームが私に教えてくれたことだ。

自ら進んで積極的に地域社会や我が国、世界の人々に奉仕するため、そして私の実家の家業と共同して参画できるようになるため、独立できる資格取得の勉強をしていきたい。
具体的には法律分野を通じて人々、とりわけ地元に貢献できる分野を目指していきたいと、私は今考えている。


アイドルを応援していた人生の中では、不本意な道に進んだことも多々あった。

内部進学ではなく公立高校を受験すべきだったと毎日後悔していた高校時代、主専攻を変えるべきだった悩み苦しんだ大学院時代。
しかしそんな時でも、常に歌とダンス、ひたむきに努力を重ねるアイドルの姿が私を励ましてくれた。

大学病院での仕事は、医療と教育を福祉という概念て結びつけて考えることができた。
教育分野は法律職をコンサルティングという職種として考えることで、真のサービスとは何かを考えるきっかけを与えてくれた。


学んだことを身近な地域で活かすという考えは、歌やダンスで地域を盛り上げ、芸能を身近なものとしてきた。
ご当地アイドルを応援したことがきっかけである。

かつて応援していたキャナァーリ倶楽部は、そのメンバーのほとんどが結婚している。
そしてその日々をつづるブログも、かつてのアイドル時代を上回り、世代を超えて人気である。

地下アイドルという活動に生きたアイドルもまた、一人ひとりの幸せを確実に掴んでいる。
それは今、私の大変な励みとなっている。

自分に研究というきっかけを与えたのはハロプロだったが、再起を与えたのもハロプロだったのである。

私がかつて応援していた「モベキマス」。その次代が確実に継承されている。
モーニング娘。'20・BEYOOOOONDS・つばきファクトリー・アンジュルム…
ハロプロは次なるグループとそれを応援する新たなファンに託したい。



私はこれからまだまだ学び続けなくてはならない。
今、教育学での研究と学位取得を目指したいと考えている。
さらに私は、法律の資格取得を目指したい。

ハロプロが私に教えてくれたすべての学問、経験。それらの研究を深めていきたいのである。
それは、このブログのタイトルであるダメ院生から脱却するためでもあるが、何よりハロプロからもらった夢を実現していくためでもある。
自分にしか出来なかった研究を、我が国だけでなく国家をも世界をも越えて伝えたい。

宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える。

 


ハロプロを追いかけるという私の一つの人生の物語は終わった。

それでもハロプロから応援されてきた夢とその実現という人生は、まだ続いていく。

ハロヲタとして駆け抜けた日々、
そこから生まれた新たな夢に、今は進んでいきたい。