ハロヲタ~駆け抜けた日々~ 第2章:安倍なつみさん推し・ファンクラブ入会 | 元ダメ院生の旅と生涯教育ブログ

元ダメ院生の旅と生涯教育ブログ

元ダメ院生が過去を反省し生涯教育に励む日々の記録。他にも気ままな旅や芸能、アイドル、地方局などご当地のテレビラジオの話題などを。

前回は「ハロヲタ ~駆け抜けた日々~ 第1章:モーニング娘。との出会い」です。
 


モーニング娘。推しのまま高校3年になり、大学受験の年を迎えていた。

私生活としては自宅の改築が終わり、新居になっていた。テレビも部屋に設置され、パソコンも独占できる状態になった。
深夜アニメも少しは見ていたが、もうそれほどアニオタではなく、完全にモーニング娘。一本になっていた。

大学受験の勉強をしていたころも当初は「ながら勉強」のスタイルだったが、暗記すべきことが増えると次第に聞かなくなっていった。


とはいえ完全に忘れられるわけも無かった。

後藤真希がモーニング娘。を卒業する時、卒業ライブ中継の特別番組はすべて見ていた。
4thアルバムの収録曲「いきまっしょい!」を聞くと、大学受験の勉強をしていた頃が思い出されてくる。


ただ直前期になってくるとさすがに勉強に集中するようにもなる。一時期はハロプロを含め、アイドルが全く分からなくなっていた。
そして、モーニング娘。さくら組、おとめ組に分割され、さらに多くのメンバーが卒業するようになると、次第にハロプロから遠ざかってしまうのである。
後に2009年のハロコン「Hello! Project 2009 Winter 決定! ハロ☆プロ アワード'09 ~エルダークラブ卒業記念スペシャル~」で、
さくら組おとめ組は限定復活するが、最初はなぜ歓声が沸いているのか分からなかった。

本当のところを話せば、放課後に予備校に行くため都内まで出ると、都会の街には綺麗な女性が大勢歩いているのである。
予備校の冬期講習や直前講習では、都内の学校に通う女子高生や浪人生の人もいる。
そのような出会いの中で、アイドルを忘れるときがあったのかもしれない…。

またその頃、カバーモーニング娘。というモーニング娘。の洋楽カバーのCDを、英語の勉強などと理由をつけて購入した。

 

 

歌詞などは比較的原曲に忠実だが、曲調やイメージなどは大きく異なる歌が多い。英語版の「ザ☆ピ~ス!」など原曲をとどめていない。
これまでのハロプロと異なる世界観を聞いてしまった気がして、つんく楽曲からも離れていくように感じていた。


大学には無事に何とか現役合格した。
すると大学では、高校までと違い本当にやりたいことができると感じた。
英語、中国語、韓国語、法律学、教育学、社会学、政治学、経済学、マーケティング…
どれも魅力的で講義には毎日必ず出席した。

昔の芸能志望だった自分はどこへやらといったところで、学問の楽しさに目覚めた時期でもあった。
中でも英語は高校までの苦手科目から一気に克服し、中国語と韓国語はわすが半年で旅行に困らないほど取得した。
教職課程で履修した教育学は、1年時から4年生並みのレポートが書けた。
社会学のゼミに教授推薦を頂き、ほとんど無試験で入室することができた。

この勢いで中学高校時代に勉強できたなら、もっといい大学に…などと悔やんだりしたのも事実である。


その頃はアイドルから離れ、リアルな女性へと移行していた時期だったのかもしれない。
大学でかつての地元の同級生にばったり再会したりした。お互い家から通っていて帰宅する方法が一緒だったりした。
小学生以来の再開で、当時はあまり知らなかったが、すっかり大人の女性になってしまって…などと思っていた。講義なども一緒に履修するようになっていった。

ただハロプロを忘れていたわけではなかった。
入部したサークルにはハロプロが好きだという人が大勢いて、モーニング娘。おとめ組の「愛の園 ~Touch My Heart!~」を部室で流したりしていた。

 

自動車教習所にも通う等、意外と多忙だったが、常にハロプロの歌は聞き続け、中でも「Go Girl ~恋のヴィクトリー~」が気に入っていた。


2年時に入部した放送系のサークルでモーニング娘。やタンポポの曲を流すと、学内から多くの反響が寄せられた。
教職課程が本格的に始まると毎日帰宅は遅くなり、いわゆる空きコマがほとんどない時間割になったが、それでもハロプロの歌があれば楽しく過ごせた。

次第に自分の「ハロプロファン」がアイデンティティーとして確立してくるようになったが、それでもまだ本格的な「推し」ではなかった。
モーニング娘。を卒業した安倍なつみがソロデビューというニュースも聞いていたものの、それほど感慨深いものではなかった。


そのような中、私にとっての運命の日がやってくる。


2004(平成16)年6月11日。
その日は、「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)に、安倍なつみさんが出演する日だった。
私は学校から帰り、何気なくテレビをつけて視聴した。

ソロデビューした安倍なつみさんが主演していた「仔犬のワルツ」は少しだけ見ていた。最終回の演出も素晴らしいと感じていた。
ドラマの主題歌の披露ということで若干期待しつつ見ていた。

 

そして披露された「だって生きてかなくちゃ」。
まさに、一瞬の一目ぼれだった。
その一瞬で、自分の中で電撃が走るかのように安倍なつみさんの虜になってしまったのである。


その日から私は、なっち推しのハロヲタとなってしまった。
私の「ハロヲタ」が、たった一日で電撃的に始まってしまったのである。
一日で急に一人のアイドルの完全な推しなってしまったということは、それ以前にもそれ以後にもない。


それからCDを買いアルバム「一人ぼっち」を買い、本当に毎日聞いた。
MDプレーヤーをはじめて買ったのもその時だった。
「あなた色」を聞けばどんなときでも元気になれた。

当時私は、単発派遣の会社に登録し、大学の授業のない日などは単発での設備移転のアルバイトをしていた。
また夏休みには、地元の父の知り合いの会社でアルバイトをした。
その時に聞くのは完全に安倍なつみさんの歌だった。
今でも「恋のテレフォン GOAL」を聞くと、当時のことが鮮やかに思い出される。


その年の9月23日、千葉県君津市で行われた「安倍なつみ コンサートツアー 2004 ~あなた色プレミアム~」。に行くことにした。
ハロプロの現場初参戦である。東京駅から特急列車で君津に向かった。


ライブで生で見たなっちの姿は、誰よりも輝いていて、誰よりも美しかった。
帰りのバスで、東京湾アクアラインからの東京湾の景色を眺めながら、なっちを独占したいと本気で思っていた。

もっと近くで見たい、もっとなっちを見ていたい。
翌月の松戸市での公演にも参戦したくなった。
しかしチケットはなかなか取れない。優先的に購入できるファンクラブ会員のチケットを心から羨ましく思った。


そして翌年、ハロプロのファンクラブに加入した。
ファンクラブに入ると様々な情報が入るようになった。

そのような中、彼女の盗作問題があった。
その時はちょうど、JRの駅で新幹線の切符販売のアルバイトをしていた頃だった。
出勤すると助役さんが教えてくれたのである。
彼女の紅白歌合戦の出場辞退はNHKの7時のニュースになるなど、ニュース自体は私も大変ショックを受けた。
でも大学の友人、アルバイト先の同僚や先輩、自宅の近所の人まで、私にハロプロの話題を話してくれた。
ハロヲタが、もう私の個性として確固たるものとなっていった。

とはいえ当時の私は、ガラケーの待ち受け画像はいつもなっち、ゼミの合宿にアイドル雑誌を持参、
話す話題はハロプロばかり(相手がどんな趣味を持っていようと)…
今日では一般的となり若い女性も多いアイドル趣味だが、その当時は単なるオタク学生だった……。


2005(平成17)年、私はイギリス・ケンブリッジに留学する。

MDにハロプロの歌を満載にして持参した。
行きの飛行機の機内では、時差ボケの不安もよそに、眼下に広がるシベリアの景色を眺めながら、モーニング娘。の歌を聴いていた。

イギリスでの講義は、英語ネイティブではない外国人向けの基礎的な文法の講義ばかりだったが、
レポート作成では、ハロプロの魅力(「日本の芸能とグループ音楽」とした)を英文で発表した。
カラオケ(イギリスはパブなどに置かれていることが多い)では、カバーモーニング娘。の収録曲を歌った。

安倍なつみさんの「夢ならば」「恋の花」などを聞くと、
今でもイギリスのケンブリッジとロンドン、スコットランドの街並みが鮮やかに目に浮かんでくる。

2003年のイラク戦争以来、中東をはじめ世界で絶えずテロが起きていた。
イギリスでも地下鉄同時爆破テロが発生するなどあった。BBCテレビでは中東情勢悪化のニュースが連日伝えられていた。
テレビでBBCの解説員が、「中東では天気予報も流れない。それは紛争地帯の空爆に都合がいい日がわかってしまうから」などと解説していた。
「紛争地域にはお天気お姉さんすらいないのか。お天気お姉さんがいるのは平和である証か…」などと考えたりした。


全課程を終えて帰国の途に着く。
帰りの飛行機の窓からは、飛行することのできない中東のイラクやシリアの空が遠くに見えてくる。
その時、私の中で、「空 LIFE GOSE ON」が流れていた。

"世界中にやさしさがあるんだから やがてひとつになれる時代が来るはず"
「なっちの愛は無償であるが、世界の人々に平等には享受されない」

「世界中みんながアイドルヲタになったら世界に戦争は起こらないのに」
と本気で思っていた。


帰国したらすぐ大学の後期が始まる。
週末には「安倍なつみ コンサートツアー 2005秋 ~24カラット~」の関東での公演に参戦した。

今となっては平成時代のちょうど真ん中。
ドラマ「電車男」が流行った時期。私は当時のイメージ通りのオタクだった…。


4年時になると卒業論文とが始まり、就職活動などの時期となる。
その間でも「安倍なつみ コンサートツアー 2006春 ~おとめちっくBANK~」に参戦した。

しかし、同級生がリクルートスーツに身を包み就職活動を行なう姿を見て、
自分は企業に入るのではない。学んだことを活かして活躍するために、研究の道を目指したいと思った。
卒業論文のテーマとしていた社会学と観光学、それをさらに深めるには、社会制度と政策、法律からのアプローチが有効だと感じた。

今思えば、中学生以来の芸能界への憧れが再燃していたような気がした。
当時の自分には大学教授や研究者として働く人たちを見て、
研究は独自性が高く、自分にしか出来なかったことを具現化して世に送り出す、アーティストのように映ったのである。
研究者になるには大学院に進学しなければならないと受験を決意した。

自営業だった父はそのような働き方に安定性の面から一時は懸念を示したが、元々大学院を出て研究者を目指したかったという母が熱烈に賛成した。
私の大学院受験は家族ぐるみ一大イベント化していた。


振り返れば、大学生の頃の自分は、女性の表面的な美しさや優雅さだけに惹かれて好きになってしまうことが多かった。
大学で学問に目覚めても、自分の精神的な年齢は小中学生のまま止まっていた。
むしろ、自由な校風の私立中学で自由に学問を追求したいという気持ちが、大学でようやく実現したまでだったのかもしれない。

なっちの大人の恋愛ソングが胸に響き、心から共感するのは実に最近である。
それから4年後、河口湖ステラシアターでの「安倍なつみ Summer Live Tour 2009 ~やっぱりスニーカーがすき!~」ファイナルの"新たな誓い"公演に参戦した。
「微風(そよかぜ)」「息を重ねましょう」「甘すぎた果実」…
なっちの歌とともに歩んだ大学時代が懐かしくなるも、自分の気持ちだけを最優先に生きて、人の気持ちまで考えずにいたあの頃を反省したりした。

安倍なつみさんの歌は、今でもカラオケなどで良く歌う。
彼女は歌声が女性としては非常に低く、曲のキーも最初から低いため、男でも歌いやすい歌が多いのである。


学年や年齢が上がるにつれ、周りの同年代の女性はもう大人に見えてしまい、徐々に気後れするようになった。
自分の恋愛感情は小中学生で止まったままだったのかもしれない。
なっちのセカンドアルバム「2nd ~染みわたる想い~」の収録曲は、当時の自分には大人の恋愛すぎて、正直なところ歌詞に共感することが難しかった。

しかし、その小中学生を中心にしたユニットがハロプロで動き出していたこと、着実にその出会いに向かって動き出していたことを知る由もなかった。

それは2005年に「安倍なつみ 歌とトークの ふれあいコンサート」の熊谷公演に参戦し、後の℃-uteとなる「ハロプロキッズ」
(当時はまだ℃-uteは結成前で、Berryz工房に所属していないキッズメンという位置づけだった)を見たときから、
次の物語はすでに始まっていた。