「ドライビングMissデイジー」は素晴らしい映画⇒Aazonの Prime Videoで鑑賞 | 楽逍遥の友@鎌倉・湘南

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プロフィールのわたしの画像は、中国人の親友が作ってくれた“楽逍遥”の印章。カバー画像はネパールでヘリに乗ったときに撮影。

1.「ドライビングMissデイジー」を観た経緯

「ドライビングMissデイジー」をDVD(Aazonの Prime Video)で視聴した。

 

  

DVD「ドライビングMissデイジー」 チラシの画像

 

評判どおり素晴らしい作品で、非常に感動した。

1989年の制作の米国 映画「ドライビングMissデイジー」は、同年アカデミー賞の4部門で受賞し、名作中の名作と言われる。

映画好きのわたしだから、公開当時映画館でorしばらくしてからDVDレンタルで観たかと思ったが、良いシーンというものが全然思い浮かばない。結局は観ていなかったためだろう。

最近、知人の映画好きが、この作品すごくいいと言ってくれた。その言葉に惹かれて、この作品に新鮮に向かい合って、ようやく観た。

DVDのソースは、AmazonのPrime Video(TSUTAYAのレンタルDVDはもう置いていなかった)。

 

2.観た感想

確かに非常に感動的で、知的にも刺激されることが多かった。

結果的には、映画公開当時(~数年後)に観るより、今現在観る方が、下記のような時代・社会の背景を踏まえて映画の内容を深く味わえるので、よかったと思っている。

・ユダヤ人社会と非ユダヤ白人社会との確執・競合

・宗教差別(ユダヤ教とキリスト教)

・使用者と被使用人(職業差別)

・公共施設/トイレなどの使用差別(米国南部)

・高齢者に生じる認知症と家族・関係者への影響

 

3.ストーリー

1948年、ジョージア州アトランタの夏。長年勤めた教職を退いた高齢のユダヤ系未亡人デイジー(ジェシカ・タンディ)は、ある日運転中にあやうく大事故を起こしかける。亡くなった父の跡を継いで会社の社長となっていた息子のブーリーは、そんな母デイジーの身を案じ、初老の黒人男性運転手ホーク(モーガン・フリーマン)を雇う。

ストーリーの軸は、1940年代から公民権法が施行された1970年代までのアメリカ南部が舞台の、老齢のユダヤ系未亡人とアフリカ系運転手の25年の長きにわたる心の交流である。

最初はホークのすることのあれこれと文句をつけていたデイジーだが、家政婦のアデラの急死後は次第にホークを頼りにし、万事にそつが無いホークを一層重宝するようになる。そうして、人種も身分も違う二人の老人は、主人と使用人の間の関係としては、次第によくなっていき、最後にはデイジーは、「You are my best friend」と言うまでになる。

DVD「ドライビングMissデイジー」

パッケージ おもて面の画像

 

4.デイジーとホークのキャラクター、人柄

(1)デイジー

・聡明でプライドが高い、清廉潔白を旨とする。

・自らは敬虔なユダヤ教徒だが、白人のキリスト教のクリスマスイベントや葬儀のセレモニーも認める、出席もする。

・生涯で最もやりがいを感じていたのは、教師としての仕事

・頑固で気難しい婆さんと周りから見られているが、そのように見える行動が、さして不快に感じられないのは、自身への厳しさがベースにあり、それを状況に応じて曲げるのに抵抗感が強いからである。そしてそれを他人にも強要する。

初めは意固地にホークを拒絶していたが、根負けしてついにホークの運転する車に乗る。そしてホークの真面目な仕事振りと正直な人柄を受け入れ、やがてどこへ行くにもホークの運転する車に乗ることになる。

(2)ホーク

・明るく、デイジーのきつい物言いもさらりと受け流し、実際的なことに機転がきき、非常に有能。

給料をもらうからには、それに見合う仕事をしなければと

考える。その点は非常に真面目である。運転がないきは、花壇や菜園に手を出し、デイジーにこっぴどく叱られる。

・また、車の運転や、デイジーを助ける仕事をする上もで、彼女が知らなかった問題、行動の際の制約があった。

▲文盲だった。

▲デイジーのお供をするまでジョージアから出たこともなかった。

▲自動車での旅行中、給油所のトイレは使えなかった(黒人差別)。

 

5.デイジーとホークの関係よくなっていくプロセスでの出来事

たとえばこんなシーン。

〇ホークが墓碑に花を供える

文盲のホークがの指示で知り合いの墓碑に花を供えるシーン。こう行って、ああ曲がってとデイジーが言うが、ホークは困惑の様子。それでホークが文盲であることが露見。アルファベットは知っているが、並べた単語になると意味はわからない。

デイジーは、墓碑の名前の初めと終わりのアルファベットを覚えさせる。そうすれば墓碑に辿りつけると。そのやり方はうまくいき、ホークは目的の仕事を果たすことができた。デイジーは小学校の教師時代の生き生きとした気持に立ち返った。

〇1953年のクリスマスに、デイジーは「わたしはキリスト教徒ではないから、これはクリスプレゼントではないのよ」と言いつつ、ホークに物を書くための簡単な参考書を渡す。もうホークは教師としてのデイジーの生きがいの大事な対象になったのだ。

〇デイジーはホークが缶詰を1個盗んだと疑った。実際は逆、傷んだ缶詰は食べてよいと指示されていた。ホークはその分を自分で買って補充していたのだ。ホークの正直さにデイジーは言葉もない。

〇デイジーがチキンの唐揚げをするとき、ホークは「もっと弱火にしたほうがいいですよ」と忠告する。しかしデイジーは「私はこのやり方がいいの」と、一旦無視する素振りをみせる。ところがホークが離れた後、こっそり弱火にする。

〇大雪の日

ある雪の日(停電もあり)、デイジーは「無理して仕事に来なくていいのに」と思いやりを見せ、「仕事はいいから、二人で話をしましょう」と語りかける。こうして、二人の関係は、互いを認め合う主従関係になっていった。

4.攻撃、破壊される側としてのデイジーとホークとの共感・共体験の出来事

デイジーはアラバマ州モービルに住む兄の90歳の誕生日を祝うため、ホークの運転する黒いキャデラックに乗って遠出する。既に70歳近いホークだが、州外に出るのはこれが生まれて初めてだという。道中、道路脇に止めた車中で食事をする2人だが、その際の警察官の対応に、デイジーはいまだ法のもとでアメリカ南部に根強く残る、黒人に対する人種的偏見を実感する。また警察官の対応に、ユダヤ人に対する民族的偏見も感じる。

▲1966年の雨の日、デイジーは礼拝に向かう道中道路が混雑し、それはKKK(クー・クラックス・クラン)によってユダヤ教寺院=シナゴーグが爆破されたためと知る。南部では黒人のみならず、ユダヤ人も差別と偏見の対象なのだ。

ホークは幼少期の、友だちの父親が両手を縛られ吊るされ殺された悲惨な体験を語り、デイジーは涙する。

▲デイジーとホークとの関係は、基本的には使用者と使用人の関係が続く

◆これらの流れを経ても、ホークはやはり使用人であり、友人としては見ていないことがあからさまになるのが、マーティン・ルーサー・キングキング牧師の説教夕食会。

・デイジーはこの夕食会に向かう途中でホークを誘うが、「本当にその気があるならもっと早く言うべきだった」と彼に窘められる。ホークにしては珍しい黒人使用人がらみの苦情である。結局車を待たせて1人で夕食会に出席するデイジー。

・その夜のキング牧師の説教は、善意の人々による無自覚の差別の話だった。ホークは車内のカーラジオでそれを聴く。

・デイジーには人種差別の意識は強くないから、運転手が白人だろうがアジア人だろうが、同じように扱っただろう。キング牧師の演説会に運転手を予め誘わなかったのは「黒人だから」ではなく「使用人だから」。

 

6.最後は、デイジーに認知症の症状が発生

〇1971年、ある朝いつものようにデイジーの家を訪れたホークは、突然顕れた認知症の発症で錯乱しているデイジーを発見する。彼女は、認知症の症状で、教師時代に戻って子供たちの宿題を探し回っていたのだった。

愕然として様子をブーリーに知らせつつ、デイジーを優しく宥めるホーク。そんな彼に対して、デイジーは「あなたは一番のお友達よ」と告げる。

〇衝撃的なストーリー展開だった。世の中は、認知症についての関心はまだまだの時代だ。わたしは、この映画がいきなり認知症分野にも視点を広げてみせたので、観ていて気持が非常に興奮した。ストーリー展開の見事さを実感した。

〇デイジーはある日、ついに高齢者施設認知症対応の施設に入所することになる。

ときたま、息子のブーリー(母のデイジーに優しい!)とホークが見舞う。

 

7.エンディング

1973年、ホークとブーリーは感謝祭のお祝いを述べるため、デイジーの元を訪れる。

その時の会話

デイジー:ブーリー、看護師と遊んでおいで

ブーリー:ママはあなたを独占したいらしい

そして、ホークは感謝祭のパイをデイジーに食べさせる。おいしそうに食べるデイジー。

お互いに元気、なんとかやっているというやりとりをする2人。その静かなシーンで映画はエンディングとなる。