日本共産党の幹部であった松竹伸幸さんが除名された。その裁判に少しだけ注目している。
  共産党は「党則に違反したから(当たり前だ)」という主張だが、外部的には「党首公選を求めた出版物を出したから除名された」「まぁ、志位さんが気に入らないから除名したのだろう」というのが一般的理解である。
 共産党は「組織の自由」を錦の御旗にして、松竹氏を批判する(かつての「同志」への共産党の悪口雑言はすさまじい。ハラスメントどころではない。クソミソ!(笑)。比較して、松竹氏の反批判は理性的である)。
 それに対して、「組織の自由」という原則を持ち出して、外部の人間がごちゃごちゃ言うのは筋違いだ。つまり、悪名高き「民主集中制」をはじめとする共産党の組織原則に納得した上で入党したのだから、「〈党規違反〉者への処分は当然だ」という論理を展開している。一見もっともらしい。ナルホドと思ってしまうのだが、今次裁判ではそうした見解の誤りが指摘されている。(ココが興味深い!)
 例えば、人権侵害と闘う川人 博 弁護士(電通事件や宝塚歌劇団劇団員自殺案件の遺族側の弁護士、いわゆる左派の弁護士)はこう言う。
 「人権侵害」というと、とかく対国家権力との関係のみを想定しがちである。しかし、国家権力との闘いのみに限定するのは間違いである、と指摘するのだ。
 「部分社会論」と呼ぶらしいのだが、人は対国家権力以外にも、関係する団体や個人から圧力やハラスメントをいろいろ受ける。企業、宗教法人、労働組合、さらには政党などの政治結社も当然含まれよう。
 以前は、その「部分社会」の中の争いごとだから、外部は物言えず。裁判所の裁量権の範囲外で、「治外法権」的な考え方が主流だった、そうな。日ごろ人権などにやかましい闘士の方が、内部的にはかえって威張り散らしているというのはよくある話。「オレは〈正しい〉ことをやっているのだから、下っ端は黙っていろ」と言わんばかりの態度。ズバリ、左翼に多い。昭和(今も?)の労働組合の幹部などはその典型だった。
  「結社の自由」があるからと言って、本人が納得して加入した組織や団体だからといって、「部分社会」の中であっても、人権侵害は許されるというものではない。……う~む、何だかこっちの方に説得力がありそう。
  ネットの声を拾う。
《共産党、ヤバイですね。硬直化し過ぎて、民意からどんどん離れて行ってる。松竹氏の除名の件でも分かるように、あのようなやり方は民主主義とは言えない。内部構造を変えられなければ、衰退する一途だろうな。》
  共産党員の除名問題は、とっつきにくい話題。だが、教わることは少なくなかった。

 写真。某日の昼食(つとめて軽く)。