西暦の強制がヒドい。
 特にマスコミ。NHKもモチロン例外ではない(率先している?)。書籍類も同様。読んでいて、違和感いっぱい。読むに堪えない。そのいくつかの事例を紹介しよう。
① TVや出版物では、西暦表記がやたらと増えた。和暦を消そうとしているのではないか? 何やら「意図的」なものを感ずる。
② 元号表記だった番組や映像が、いつの間に西暦の表記に変えられている。過去の映像だって、西暦に「改ざん」されている(将棋、高校野球、歌謡曲、ほか)。ヒドっ!
 例:番組では「平成の怪物」と紹介しながら、映像のキャプションには「199?年」と紹介される(たぶん、書き直された!)。「意図的」と書いたのは、そういう意味だ。
③  PCやIT機器類は、原則西暦表記になっている。それはまぁよいとしても、和暦を使用したい場合にも、何故か自動的に(!)西暦へと変換・誘導されてしまう。
 例:「へいせい21ねん」と打ち込んで、変換する。最初は「平成」と出てくる。もう一度クリックすると、今度は西暦。やっぱり、元号を使おうかと3度目のクリックをすると、もう「平成」には戻らない。3度目以降何度クリックしても「平成」が出てこない。不思議。こんな自動的は「誘導の仕掛け」(西暦の強制)が至る所に施されているようだ。
 小生の第六感! 背景に巨大な陰謀が渦巻いている。たぶん、そうだろう。
  中西進先生の『令和の力、万葉集の力』から、該当部分を再掲しましょう。
《元号というのは、わたしたちが2000何年というように使っているキリスト教の起源から数えた年号とは違います。西暦は、キリストの誕生から年号を数えて、2019年、2020年と続いていくものです。年数を確実に計算的に無機質に区切って、1年、1年と続いていきます。》(ココでの、「無機質に」がポイント!)
《……あえて言うなれば、元号とは、ある時代に対するおしゃれのようなもの、美的に感覚を楽しむようなものであろうと思います。これでは明らかに役に立たない。役に立たないもののことを文化と言うとわたしは思っております。要するに、元号とは、文化の一つではないかと思うのです。》
 写真。「考える人」(上野西洋美術館入口)。