早稲田今昔。
  校友会(私たちは「稲門会」と呼んでいる)の宴会の〆はいつも、校歌の大合唱。コレが歌いたくて、集まってくる。大のオトナたちは案外単純! カワイイと言えば、そう言えなくもない。

 その校歌。
  一昨日改めて、歌詞を味わっていたらやっぱりスゴイ!  すばらしい内容です。
 早稲田大学校歌が制定されたのは、明治40年(1907年)。戦前はもちろん戦中・戦後を通じて、親しまれ歌われ続けている。歌詞によっては、歌詞が時代に合わないとして戦後に校歌が廃されたり、変えられたりした例が少なくない。にもかかわらず、早稲田大学は同じ歌詞で100年以上愛され、歌われて続けているのだ。
 聞けば、制定過程時の苦闘があった。
《はじめは、学生からの募集が企画され、23編の応募がありましたが、これという作品がなかったため、審査にあたった坪内逍遥と島村抱月は、相馬御風に作詞を依頼しました。10日余の苦闘の末に、この名作を書き上げました。これに作曲したのが、当時講師であった東儀鉄笛でした。》
 歌詞の一部を紹介すれば、「進取の精神 学の独立」。「現世を忘れぬ 久遠の理想」。「東西古今の 文化のうしほ」。「集り散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光」……。
 たしかに、令和の今日でも世界に発信したい中身である。こんな思いは、単なる母校愛とは少々違うような気がするのだが、如何であろうか?
   写真下。漫画ナントカ研究会とか(早稲田西門前にて)。この後輩たちも「集り散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光」はあると信じながら、パチリ!



早稲田大学校歌」(相馬御風 作詞 東儀鉄笛 作曲
都の西北 早稲田の森に
聳ゆる甍は われらが母校
われらが日ごろの 抱負を知るや
進取の精神 学の独立
現世を忘れぬ 久遠の理想
かがやくわれらが 行手を見よや
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

東西古今の 文化のうしほ
一つに渦巻く 大島国の
大なる使命を 担ひて立てる
われらが行手は 窮り知らず
やがても久遠の 理想の影は
あまねく天下に 輝き布かん
わせだ わせだ わせだ わせだ
わせだ わせだ わせだ

あれ見よかしこの 常磐の森は
心のふるさと われらが母校
集り散じて 人は変れど
仰ぐは同じき 理想の光
いざ声そろへて 空もとどろに