前日の池井論文(「日本の若者よ、海外を目指せ」)に関連して、元高校の教壇人からも少し言わせていただきたい。
 上記兆候は、もう30年近く前からあること。高校生の「志」が小さくなった、低くなった。視野も狭くなった。長く教壇にいて、ずっとそう感じていた。年代で言えば、1980年代の校内暴力が収まった頃、あたりからだろうか。
 具体的に指摘すれば、以下だ。
①  生徒の「安全志向」が年々高まってきた。
② 象徴的なのが、志望校である。
(ア)東大を目指さなくなった。
(イ)A大(一流)とB大(一流半)と仮にあったとすれば、推薦入学でB大の方を選ぶ傾向が強くなった。その方が早めに進路が決まる!、からである。
(ウ)保護者も、第一志望校へのチャレンジよりも、安全パイの方を選ぶようになってきている。当然、わが子にそう勧めるている。それゆえ、チャレンジ精神が育たない。
(エ)さらには教員。そもそも教員自身に、トップを目指す気概がないのだ。だから、「トップを目指せ」という指導は現場では少数派。教員というのはは中途半端なエリート(最近ではエリートですらなくなってきている!、???)で、トップから落ちこぼれた経歴の持ち主が多いことも影響しているのかも知れぬ。
(オ)学校でも家庭でも、「そこそこのレベルで構わない」という子どもへの指導が日常的になされれば、「高い志」など育ちようがない。
(カ)「トップを目指す気概がない」のは、公立高校の教員に多い。教員集団となると、さらに絶望的だ。この点、私立の方が「上」を目指す気概が生徒・教員ともに強いような気がする。
(キ)進学指導の研修会を受けていても、(とくに公立の場合は)「そんなにガリガリ勉強しなくても、……」といった半可通の空気に支配されやすい傾向がある。
(ク)最後の例は、些細なことだが、こっちの方が分かりやすいかも知れない。
 クラスや委員会等で、委員長には立候補せず、「副委員長ならヤリます」という生徒が目立つようになった。奇妙な「立候補」の仕方が増えたのだ。
③ より根本的には、「少子化」に原因があると、小生などは睨んでいる。
  という訳で、若者の志の低さは憂うべき現状にある。しかしながら、同時に時代の反映でもあるのではないか。
 小生的に申し上げれば、天下国家を論じることなく、ちまちました日常のみに目を奪われている大人の側の責任でもあるのではないか。そんな気がしてならない。

 写真。日暮里駅から、スカイツリーを望んで(1/29)。記事とは関係ありません。