日本ハムファイターズという球団が好きになった理由は、簡単です。大谷翔平を育ててくれたからです。
 今から遡ること、12年前。
 北海道日本ハムファイターズは、高校卒業後はメジャーリーグ行きを宣言していた大谷翔平をドラフト会議で強行指名をしました。前年は、巨人入りを熱望していた菅野智之(東海大学、当時)を強行指名して大失敗!! そんな「前科」があったにもかかわらず、この年もまた大リーグ行きを公言していた大谷君を強行指名。「ああ、またまた大失敗だなぁ~」、野球ファンは誰しもそう思っておりました。
 ファイターズという球団がすばらしいと感じたのは、その後の対応です。
 強行指名に困惑していた大谷の気持ちを変えたのは、一つの資料でした。それは、「大谷翔平君 夢への道しるべ」と題したプレゼン資料。この資料は超一級品です。いま読み返しても感動ものですゾ。今日の大谷を生んだのは、この資料である!、そう断言したくなるほどのシロモノ。詳しく書く時間はないので、すみませんがネット等で検索して下さいナ。
 要点だけ記せば、日本ハムが相手の立場に立った提案をしていた、ということ。投手と打者の「二刀流」という、当時誰も考えなかった野球人としての生き方、「まさか」「トンデモナイ」(誰しもがホンネでは実現などしないと考えていた)「高校生の夢」を、ハム球団は真正面から取り上げたのです。大谷の夢を実現するにはどうしたらよいのか?、一緒に考えよう、というスタイルの提案でした。
 この資料には、野球のみならず、スポーツ全般での世界的な視野から詳細な資料が提示されておりました。世界で通用するには、どうしたらよいのか? 野球以外のスポーツも含めた、世界で成功した選手と(逆に)つぶされた逸材のデータがふんだんに盛り込まれておりました。
 その資料によれば、じつは失敗した選手、つぶされちゃった選手のほうが圧倒的に多かった。大谷君にはそうなって欲しくない、というすばらしい提案だったのです。小生的に申せば、今日の大谷を生んだのはこの資料のおかげでしょう。プレゼン資料「大谷翔平君 夢への道しるべ」を作ったスタッフのおかげで、世界の大谷が生まれたのでした!、ハイ。
  ドラフトの世界というのは「義理と人情と現ナマ」(失礼!)だと、それまでは思い込んでいました。そうではなく、「野球=文化、スポーツ=科学」。その資料はそう訴えて、実証したのでした。その結果、大谷が「メジャーで成功する」ことにつながったのです。
 アッパレ、日本ハムファイターズ球団!