女性の心に寄り添うカウンセラー、四方です。
先日のイベント
「ココロに効く 大人のための読み聞かせ会」で出た話題、
スクールカーストという言葉について。
イベント参加者はアラフォー、アラフィフ、そして助っ人の高校生のうちの次男。
で、その高校生の次男坊の口からスクールカーストという言葉が出たのですが、
参加者の一人が、
「私たちの頃はそんな言葉、なかったよね。
確かにグループ分けはされてたけど」
と、おっしゃいました。
そう。確かに私が中学・高校の頃にはスクールカーストという言葉はなかった。
でも、スクールカーストと呼ぶべき状況は存在していました。
発言された女性はスクールカーストという言葉がなかったから
その状況を強く意識することなく過ごせた、と考えていらっしゃいました。
また、その女性はこんなこともおっしゃいました。
「セクハラなんてのもなかったよねえ。
上司にお尻触られてる女の子を気の毒だなって思ったことはあるけど・・・」
そうそう。セクハラって言葉もなかった。
社会にはスケベなオッサンがいるから若い女の子は気を付けなきゃね、て
そんな認識でした。
声を上げる、訴える、という発想はなかったです。
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私が小学生の頃の話です。
小学5年生の3学期に転校したのですが、
転校3日目に上靴がドブに捨てられてました。
また別の日には、
移動教室から自分の教室に帰ってきたら、
私の机の中の物がすべて床に投げ出されてました。
さらに別の日には、体操服が床に投げ出されてて、
体操服に靴跡までついてました。
これ、今ならいじめと呼ぶでしょう。
でも、私が小学生の頃は違いました。
あの頃のいじめとは
暴力を振るわれ、金品を奪われた際に使う言葉でした。
だから当時の私は自分がいじめられてるなんて思っていませんでした。
もちろん傷付いてたし、辛かったし、悲しかった。
いろんなネガティブな感情がありましたが、
その中で一番強かったのが「悔しい」という気持ちでした。
あいつら全員、いつか土下座させてやると思ってました。
と同時に、靴をドブに捨てる奴や体操服に靴跡つける奴は
そいつらの価値観で生きてるだけだ、とも思いました。
その行為が間違ってるとか正しいとか、そういうことではなく、
私はあいつらとは違う価値観で生きてる。
私はあいつらのようなことは絶対しない。
ただそう思って学校生活を過ごしてました。
もし私があの時、自分はいじめられてる、と認識していたら
少し考え方は違っていたのではないかと思います。
あの時私は「いじめ」られてるんじゃなく、 「からかわれている」と認識していました。
だから、どちらかというと傷付いたというよりムカついた、という感じでした。
ムカついてたから,
「あいつら全員、いつか土下座させたる!」
という発想になったんだと思います。
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スクールカースト、セクハラ、いじめ・・・。
どれも容認できるものではありません。
こんなの、どれも存在しちゃダメだろ、と思います。
これらの言葉が誕生したことにより
容認できない状況に声を上げられるようになった人もいるでしょう。
でも、これらの言葉に振り回されてる人もいるのではないかと思います。
これらの言葉がなければ、
その状況を自分の力で跳ね返せたはずの人が
言葉に縛られ、力を発揮できなくなっている人もいるように思います。
「言葉」って大事です。
「言葉」の存在により助けられることも振り回されることもあります。
スクールカーストなんてクッソ面白くない状況だ。
セクハラは犯罪だよ。
いじめもアカン。
でもその言葉に振り回されないで。
言葉に影響されて、自分らしさや自分の力を見失わないで。