退院当日は外はとてもよく晴れていた。
コンビニが病院を出てすぐのところにあるので外の空気を吸う事自体は初めてではなかったが、やはり自由だと思うと空気が澄んでおいしいものだと実感できた。
数値の変化を見ていく為まだ通院は必要だが、家に帰れる事は本当に嬉しかった。
入院費用は母が出してくれた。
合計で7万後半くらいだったと思う。後で明細を見たらベッド代と食事代も取られていて考えれば当たり前の事かもしれないけれど無知な私は驚いた。
貯金のない、むしろ借金しかない私は入院費を母が立て替えてくれて後で請求されるかと思っていたけれど母はそれを今日まで一切しなかった。
会計が終わってタクシー乗り場まで向かう途中でさすがに礼を伝えると母は
「いいですよ、家族なんだから」
と答えた。
私はそれが妙に頭に残っていてずっと忘れていない。
入院というだけで心配させた上、それにかかる費用、もちろん雑費もかかり、毎日見舞いにも来てくれた挙句がこの病状だったらこんな言葉、でないような気がした。
タクシーだと家までは15分もかからない。
入院する事になった半月前同様、タクシーで今度は家に向かった。
病気の事は恐ろしいほど何も言ってこなかった。
そうなると自分も何も言えず、この話はまったく会話にのぼらなかった。
久しぶりの我が家が近付くのが外の景色でよくわかる。
やっと家に帰れると思うと本当に心底から嬉しかった。
この時だけは、メドのついていない今後の借金の返済についても何も考えず家へ帰れる喜びだけかみ締めていた。
大通り沿いでタクシーを降りると細い道に入って家に着いた。
「おかゆ作るから食べたら休みなさい」
母は言いながら鍵を開けた。
いつも乗っていた自転車を見ながら私は「ただいま」を口にした。
すぐには元の生活には戻れない。戻る自信もなかった。
家でまた10日~15日療養して月末には会社に出勤する。
それは私からというより母から上司に伝えてもらった。
その方が効果的だと思ったのもある。
手を洗ってうがいをしたらまずは部屋に向かった。半月放っておいた携帯がずっと気になっていたのだ。
「ベッドにパジャマを置いたから着替えたらすぐ降りなさいよ」
背中に母の声が当たった。
部屋は綺麗に片付けられていた。
母は本当に留守中にこういう事をする人だった。
初めて行った海外旅行から帰って来た時も部屋が物凄く綺麗に片付けられていた。
だから私も母が旅行に行っていたりして帰国する日は家中綺麗にした。
疲れて帰ってきて部屋まで汚いと気分が暗くなる、これは母の持論の1つだった。
どんな気持ちで私の部屋を掃除してくれたのか考えると途方もなく申し訳ない気持ちになった。
用意されたパジャマも買いたての新しいスエットだった。私はそれに着替え携帯を探した。確か充電したままだった。
部屋が綺麗になりすぎて逆に勝手が分からなかった。
充電器はベッドの横に新しく置いてあった見慣れない棚の上に置いてあった。
私はすぐに携帯を見つめる。電源は切れている。これは入院中に私が弟にお願いした事だった。
弟は1度も見舞に来ない代わりにこのお願いをすんなり聞いてくれた。
電源を入れると画面が明るく光った。それからすぐメールが何件も連続して入ってきた。
「うわ」
私は小さな声をあげた。
島田だ。
島田からのメールが何通も受信ボックスに入っているのだ。やばい、と私は感じた。金を受け取って以来、ろくな連絡を取らないまま入院した。
私は島田からメールが最初に入った日から順を追って確認を始めた。
「元気か、何してる」
という絵文字と一緒に入ったメールから回を追うごとに絵文字が減り内容が短くなっていた。
「連絡つかないけどどうしたんだ」「お前に限って、信じてるけど」「どこにいるんだ」
「なんで電話いつも留守電なんだ」
そんな内容が毎日、入ってきている。
「俺を騙したのか」
そのメールは、ついさっき入ってきたメールだった。