九州旅行、2日目 富屋旅館の朝食と知覧特攻平和会館 | ぴこぴこぽんのブロ愚 〜season2〜

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ぴこぴこ王国の王様ぴこぴこぽん☆二世のゆるい日常を書きます。

富屋旅館の本館に宿泊した翌朝

二日酔いでごわすオエー


6時か7時か曖昧な記憶だけど

町内放送の音楽が鳴ってビックリしたハッ

二度寝したけどねぐぅぐぅ



早く起きられる自信がなかったので

朝食は8時からお願いしました知らんぷり


本館の一階にある広間でいただきます割り箸

(知覧茶、めちゃ美味い〜お茶



ちなみに富屋旅館さんは建物の内部と壁に飾ってある資料は撮影禁止18禁



ご飯は写していいと思うけど

思い入れの深い朝食メニュー(後で書きます)も

なんとなく撮影を控えましたあせる



お食事の内容は

めざし、煮しめ、味噌汁、小鉢もあって

…あとなんだったかな不安あ、あ、あ…汗


写真がないとなんも覚えてられない…叫び

とりあえず二日酔いであんまり食べられずでした魂が抜ける

(ゴリラーマンにもりもり食べてもらったウインク



ひ孫の若旦那からお話を伺いながらの朝食タイムニコニコ

前日お話してくださったひ孫の若女将は若旦那の実のお姉さん



ここの広間は戦時中は食堂ではなく

近くにあるお医者さんの別荘だったけど

若い兵隊さんたちが寛げるようにトメさんが借りて(買って?)

ここを離れ(娯楽部屋)にしてたんだって

もしかして無償で貸してくれたのかも?ゴメン、買ってなのか借りてなのか聞き取れなかった



なぜわざわざ離れを用意したかと言うと

富屋さんは軍指定の食堂だけど一般人も入れるので

私服の憲兵さんがいつどこで見ているかわからず目耳

かなり言葉を選んで会話しないといけないんで

気が抜けなかったんだって悲しい


だから再現の映画やドラマで観るような

若い兵隊さんたちが和気藹々と語りながら最後のお食事を楽しむ

とはいかなかったらしい…



戦況の悪化とともに食材が入ってこなくなったので

トメさんはご自身のお着物や嫁入り道具を売って

そのお金で食材を購入して最期に食べたいものを用意してあげていたのよぐすん



着物や嫁入り道具と言われてもピンとこないから

ふーんってスルーしそうだけど置き換えて

大事な自転車を売ったお金で赤の他人のご飯を用意できる?難しいよね



トメさんはご飯を作って話を聞いてあげるだけではなく


手紙を預かってかわりにポストに投函したり

(検閲が入る手紙には書けないこともあるじゃんね、代わりに投函したのが見つかったら捕まるよ!)


営業時間を過ぎてもみんなの気の済むまでいてもらったり

(これも見つかったら捕まる!ていうか富屋食堂は常習犯なので目をつけられていた)


怪我をしているコにはお風呂のお手伝いをしてあげる

(若い兵隊さんの裸見放題、こりゃわたしゃヨダレがでる)



実際にトメさんは捕まってしょっ引かれて

憲兵さんにブン殴られてるパンチ!不安



こういう表現はアレですが

血の繋がりもない短い付き合いのお客さんに

それも一人や二人ではないよ

みんなにしてあげるんだから


そんなこと出来るかと聞かれたら

わたしにゃー出来ないショボーン





ゆっくりご飯を食べた後は

廊下に飾ってあるお写真の説明などもしてくださいました


この写真の兵隊さんは目を瞑ってますがワザとなんですよ〜

みんなと違うふうに写りたくて戯けてるんですよ〜

とか

これは言われなかったら分からなかったなー!



若かりし頃の石原慎太郎さんのお写真も飾ってあるよカメラ

(政治家になる前から親交があって、あの石原さんが唯一褒めた人がトメさん)



トメさんには二人の娘さんがいらっしゃり

ご長女(美阿子さん)が女将を継いだんだけど

若くして癌になられたので

急遽、関東にいらしゃったお孫さん(美阿子さんの長男さん)が

あとを継いで間もないころのお話し…



運輸大臣時代の石原さんの秘書から

富屋さんにお越しになりたいと連絡があったそうな


しかし今まで畑違いのお仕事をされていた若旦那のお料理は見習い状態赤ちゃんガーン



「下手な料理は出せないからトメばあちゃんから角の立たないように断って」とお願いしたら


だったらバアちゃんが作るおばあちゃんとトメさん自ら拵えて出してくれたお品

さらに小鉢もついてその時より豪華なものが私たちが朝食でいただいたものです

(石原さんに出されたのはおにぎりだけど、私たちはお椀でご飯いただきました)



石原さんには当時の特攻隊のみんなと同じように召し上がってもらうため

トメさんは手で食べれるものを用意して

あえて箸をつけずに出したんだって驚き


石原さんのお付きの方は青ざめたでしょうがトメさんが一喝したら手で食べてくれたんだって

筋の通った政治家は一見失礼なことも腑に落ちればしてくれるよね

こんなことが出来るのも信頼し合っていた証でしょう


…私がやったら秒で港に沈められるドクロ


偉くなって綺麗なお洋服をお召しになった石原さんに昔を忘れて欲しくなかったんだろうなぁ悲しい



さらに奥にある菩薩様が安置されているお部屋にも通していただき

お話を聞くことができました〜〜〜笑い泣き



「女将の講話」に申し込んでないけど

十分お話していただき本当にありがとうございました〜泣

(女将の講話に申し込むとお昼12時くらいまでお話してくださるよ)



チェックアウト10時だったけど30分オーバー

(ありがとうございますあせる

ひ孫さんが涙ながらにお話してくれる姿に

トメさんの深い愛情のDNAを感じましたぐすん



あの人たちはみんな神様だから

みんな優しかった

ってトメさんは言ってたけどさ

実際は昭和のめちゃくちゃな時代の若者だから

(これは私の邪推だけど)嫌な思いもしたんじゃないのかなと思う

だけど一切悪く言わない

もうねー、わたしゃそんだけですごいと思う



お釈迦さまが最期、

亡くなるとわかっていながら村人の出したご飯を食べたところと

特攻隊の方が亡くなるとわかってて出撃したところがリンクするのよ(勝手な妄想です)


散って行く神様のみんなを守る菩薩のトメさん

なんだかお釈迦さまと菩薩さまみたいだなーって


私たちみんな大日如来だけどさ

今生でわたしゃ如来に覚醒できんかったんで

来世で頑張ります…



トメさんは戦後、機体を焼いた跡地に棒をたてて

長い間毎日拝みにいかれて

それが後の灯籠と観音堂にな繋がるのですが


私ならカーボンが肺に刺さるから嫌だと言って毎日は行けないよ真顔

当時の機体にカーボンは使ってなかったでしょうが

食堂をやっていた期間よりずっとずっと長い間、足が悪くなっても杖をついて毎日お参りをし続けたトメさん


富屋旅館だってそもそもが

交通の便が悪い知覧に日帰りするのは忙しいからと

遺族の方たちのために作ったもの


ただただ尊敬する汗



富屋旅館さんがとても良いお宿だったので忘れたくないから色々書いてゴメン

まだ書ききれない〜!




名残惜しいけど知覧特攻平和へ移動車DASH!



出迎えてくれたのは復元された一式戦闘機「隼」

かっこいい〜飛び出すハート


こっち下矢印は自衛隊の練習機T-3




特攻平和観音堂にもお参りしました

(観音様とお堂の写真は撮ってない)




知覧特攻平和会館は大人500円!安い笑い泣き

さらに200円払えば音声ガイド(iPadぽい)が借りられるよ!

より深く知ることができるのでおすすめ!!



館内は基本的に撮影禁止ですが

この引き揚げられた零戦は撮影ok!

知覧は陸軍の飛行場

零戦は海軍の飛行機

だから陸軍の方が零戦に乗ることはないですほっこり

仲の悪かった陸軍と海軍がコラボして

戦後に恒久の平和活動をしている姿にグッとくるえーん


館内は遺品や遺書、絶筆、血書などが所狭しと展示されていて

コピーもかなりあるけど(靖国の遊就館で読んだことのある遺書もあった)

コピーすればたくさんの人に読んでもらえる機会も増えるんでね


インターネットで検索したら読める有名人の遺書もあるけどさ

私はネットにも残ってない将校、兵隊さんの遺書も(が)読みたいのよ


さっきコピーも良いと書きましたが

できれば原本で読みたい…おねがい


綺麗な紙に、綺麗な文字で印刷されたものからは

伝わり切らない温度というか思念というか情念というか…


滲んだ原本からは目に見えないものを感じで

余計に泣けるのよえーん



※原本は貴重なのでコピーしか展示されていないことも大事なこととして理解しています!

後世にも伝えてほしいから保管も頑張ってほしい!




この知覧特攻平和会館にある特攻順で展示してあるお写真と遺品の数々を集められたのは

生き残った元特攻隊の板津忠正さん

(愛知県犬山市の方)


板津さんが生き残りの罪悪感サバイバーズ・ギルト

自ら命を断とうとしていた?ただならぬ雰囲気を感じたトメさんが



なぜ生きのこったのか考えなさい

何かあなたにしなければならないことがあって

生かされたのだからおばあちゃん


そう言われて遺品回収の旅が始まったのです


谷垣源次郎の妹、疱瘡のフミさんを思い出しますねショボーン

(ゴールデンカムイの神回・号泣回)



板津さんは仕事の傍ら遺族に手紙・電話・訪問をして

ほぼほとんどの方の遺影を集められたのです

これはすごい執念がないと出来ないよ〜



人は二度死ぬ

二度目の死は忘れさられた時

って言うじゃん


板津さんは亡くなった仲間を二度死なせないために残りの人生のほとんどを費やしたんだろうな悲しい




17時で閉館なんだけど

遺書、読みきれなかったえーん



平和会館近くの戦争遺跡も寄っていきましょう!


着陸訓練施設跡は見逃しやすいけど見ていってねと

ひ孫のお姉さんに言われていたから見ねばー


確かにわかりにくかった〜あせる見つけて写真撮ってきたよ〜

約150m先にやぐらがあって

そこからワイヤーを引いて簡易練習機を滑車で滑らせて訓練したらしい

この横から見た角度は鋭角すぎるよね?不安

どんくらいの角度だったんかな…❓


朝からなんも食べてなくて

朝ごはんも二日酔いであんまり食べれんかったし

腹ペコでぶっ倒れそうな頭では全く想像がつかんかった昇天



お腹が減り過ぎたので宿に向かう途中

コンビニで豚まん買ったんだけどさ

店員さんの豚まんの響きも訛ってて可愛かった目がハート




長々とごめんなさい

書くのが疲れたので一旦おわり


読むのも疲れるよね、

お付き合いしてくれてありがとう!!


2日目の宿へ続く…ガーン