ブログを書いて読み直すとき、気になっていました。
私の書く文章は、なんでこんなにカタイのだろうって。
「見える化」とか「一貫性」だとか、論理的でごつごつ無骨でカタイ表現が、あちこちに散らばっていて、もっと、女性らしいふんわりやわらかな表現ができたらいいのに。
やわらかい表現を心がけていても、やっぱり、どこかカタイ。どうしたらいいんだ~!!!と思ってました。
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でも、昨日の記事に書いた、やりたいこと見える化マップを作成しながら、ふと気付いたのです。
↓やりたいこと見える化マップ

私は、理由や根拠はよくわからなくても、なんとなく~な直感や感覚でこうしてみようと結論を出す「感覚的思考」を好んでする一方で
結論の理由や根拠を、物事の筋道を立てて示す「論理的思考」も好きだし、結論に至るプロセスを、言葉で分解していくのが面白いからこそ、こうしてずっと続けているんだなあと。
私にとっての「見える化」は、「感覚的思考」のイメージを、絵やコラージュ、グリッドにして、そこから結論を導き出すプロセスを、「論理的思考」で検証し、文章にしていくことでもあり
↓離婚するしないで、心がグラグラ揺れ動いていた頃、少しでも思考と感情を整理し、自分にとって幸せな人生の方向性を見出そうと作った絵やコラージュなので、今見るとかなり恥ずかしいですが、参考例としてアップします。
言葉にならない気持ちを表現した絵

お手本にしたいイメージを表現したコラージュ

「論理的思考」の結果を、「やりたいこと見える化マップ」や「幸せレシピ」のように
感覚的に理解できる図解をしながら、「論理的思考」を「感覚的思考」で検証・確認するということでもあるんだなと。
言い換えると
「感覚的思考」と「論理的思考」を行ったり来たりしながら、結論を出すプロセスを視覚化したのが、私の「見える化」だということです。
どんな人生を送るのが幸せなのかは、人によって違います。
だからこそ、私は、「こんな生き方が幸せですよ」と結論を書くのではなく、他の誰でもない、自分自身の心にしっくりくる結論を、導き出すプロセスを「見える化」することで
「自分の心と頭で納得できる結論の出し方」を、幸せな人生を生きるツールの一つとして、このブログを読んでくださる方に提案したいのだなあと。
そんなことを考えていて、カタイ言葉や表現も、私の持ち味、私らしさの大事な一部であることに気付いたとき
ほっといても自然に、私の中から湧き出てくるカタイ言葉や表現を、ムリヤリ、ふんわりやわらかな女性的な表現に変えようとするのではなく
そのカタさを活かす方法を考えてみようと思ったのです。
無理に変える必要性なんて、どこにもない。
それがストンと腑に落ちたとき、なんだかホッとして、心が、ふっとゆるむのを感じたのです。
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ふんわりやわらかな女性的な表現ができたらいいのにと思っていたのも、実は、私の意識がついていたウソで
女性誌に、キラキラと散りばめられているような、ふんわりやわらかな表現が、ホントは苦手なことに気が付きました。
あ、なんかステキ!一瞬、そう感じさせるのですが
少し冷静になって、コレ具体的には、どうしたらいいのだろう?真意はなんだろう?そう思って読むと、何を言いたいのかよくわからない感じが、どうも苦手なのです。
↓「やりたいこと見える化マップ」で言うと、ふんわりやわらかな女性的な表現をすることは、私にとって、「できないしやりたくない」領域に属することなのでした。

だとすれば、どうしても、ふんわりやわらかな女性的な表現にする必要性があるときは、そういう表現が得意な人に外注するのもアリだなと思ったのです。
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「角を矯めて牛を殺す」という言葉がありますが
牛本来の姿である曲がった角を、たたいたり引っ張ったりして、無理にまっすぐにしようとすると、牛そのものが弱って死んでしまうように
小さな欠点を無理に直そうとして、かえって、その人本来の持ち味や魅力を、損なってしまうことってあると思うのです。
これからも、自分の書いた文章を読み返すたびに、カタイなあと感じるのだと思いますが
これからの私は、そのカタさを、自分の持ち味として、大事にしたいと思います。
今日の記事は、かた焼きソバぐらいのカタさでしょうか?
せっかくなので、パリパリしゃきしゃきと、歯ごたえのあるカタさを目指そうと思います
