【春は、出会いと別れの季節】
誰が言い出したのだろう。非常に言い得て妙な表現である。
春といえばJRのダイヤ改正
毎年全国各地で名シーンを演じてくれた名車達が姿を消し、新たな仲間が加わる。
まさに出会いと別れである。
今回はそんな高校1年生の春に発生した別れの話である。
※今回の写真のクオリティはかなり低いです。約4年前、高校1年生の時の写真ですので大目に見てください。
「別れよ」
ある3月になったばかりの朝、もうすぐ定期テスト、2年生だな〜とか思いながらスマホを開くと彼女からLINEが届いていた。
驚きのあまり咥えていた食パンは皿に落ちた。
終わりの始まりである。
どうして?なんで??
私の過去のブログを閲覧の皆様にとっては自業自得だと思われるかもしれないが、これはそれらの話より2年も前の話である。
中学3年生の時にひょんな流れで始まった交際。生まれてこの方DENSYA以外したことのなかった私に彼女なんてできるなんて夢にも思っておらず、あの時はまさに青天の霹靂であった。
それから1年以上、学校は違えど可能な限り彼女との予定を優先し、自分なりに最大限大切にしてきたつもりだった。今思えばこの時電車活動も何もかも投げ捨てた反動が、のちに私というバケモノを生み出してしまったのかもしれない。それほどに尽くしてきたはずなのに、いつからだろうか、口数が少なくなったのは…
正直、お別れが近いことは分かっていた。覚悟もしていた。
そもそも高校も違うのに3年付き合って、大学も4年あって、そこから結婚なんて不可能に近い。いつかは絶対お別れの時はやってくる。
別に俺にはDENSYAがあるしと自分の中で強がったりもしていた。
そう、俺はDENSYAなんや。DENSYAさえいてくれれば、、、
でも、なんだろうこの感覚は。
胸の中にポッカリ穴が空いたような、電車どころか食べ物も喉を通らないそんな日々だった。
こんなことになるなら、最初から恋愛なんてしないでDENSYA活動しとけば良かった。
あの時捨てたロイヤルエクスプレスの原色代走、721系の出場試運転、ヘッドスリーのキハ283、バリ晴れの試1191レ、、、
別れたところで、捨てた列車たちは帰ってこない。電車に専念してれば撮れた列車たちが、私の頭の中を走馬灯のように走行している。
何を未練たらたらと、情けない。今思えば笑えてくる。
でも、初めて失恋した高校1年のクソガキにはこの事態は皆様の想像より重くのしかかったのである。
ある雪の降った放課後
「本当に俺でいいの?」
私の問いに彼女がコクリと頷いたあの日から、延べ400日に及ぶ私の春は、雪解けとともに終わりを告げたのである。
独り身になった私はまさに死んだように生きていた。
電車も撮る気にならず、ただ学校と家を往復する日々。
(まあ今思えば雪が多過ぎて外に出る気にならなかっただけだろうが)
寝落ち通話する相手もいないので22時には就寝していた。
惰性の日々を1週間過ごして迎えた3月11日。
くよくよしてる場合では無い。ダイヤ改正前日である。
ダイヤ改正の前日・当日は車両を入れ替える関係で長編成の珍しい列車が走るのが毎年の恒例である。
それはどんな状況であれ、撮りに行くのがDENSYAとしての義務だ。これに失恋なんて関係ない。
「起きろ、DENSYAの時間だ」
そう自分に言い聞かせ、計画を立てた。
久しぶりに握ったカメラは、いつもより重く感じた。
最初に立てた計画はこうだ。
今年の目玉は11日のキハ283系おおぞらラストランとキハ150形100代の方転回送。12日は根室線 新得〜釧路間(以下、このページでは新得〜釧路間を根室線と呼ぶ)のキハ40形返却回送だ。
特に根室線キハ40形の返却回送は帯広発、新得発の釧路行が1本ずつ設定されているが、どちらも4両編成、しかも片方はとてもスペシャルな編成での運行との噂だ。これは諦めたくても諦めきれない。失恋とか関係ない。行く以外ないのだ。
当時友達の車に便乗することは親から固く禁じられており(まぁ隠れて乗ってたけど)、友達のクルマで行きたかったが泣く泣く親の車で行くことになった。しかしここで事件が発生。
札幌市内の雪が溶けかけていたにも関わらず、3月9日〜10日にかけて全てをパーにするほどの量の雪が降ってしまった。
私の春が終わると同時に季節は春になったはずだったのだが、冬に逆戻りしてしまった。しかし季節は逆戻りしても、彼女は返ってこない。私に退路などないのだ。ただ電車を撮るため、雪と戦う他ない。俺は戦うよ。
最悪なことに私の家は袋小路にあり、除雪は年に2-3回しか入らない。しかもこの大雪のせいで他の場所の除雪が優先されたため予定されていた除雪が入らず、後回しにされたことで雪が邪魔で車庫から車が出せない状況に陥ってしまったのだ。
え、でもキハ40×4連が2本?諦めきれるわけないよね。
先ほども申した通り、私に退路などない。雪が邪魔ならどかせばええやんけ。
慌てて連絡した友達の車はもう満席。私が入る隙などどこにもなかった。
そして迎えた11日、高校が終わったらすぐ札幌近郊にキハ283系を撮りに行く予定だったがそれを全て捨て、家の前の雪かきに専念することにしたのだ。
気温はマイナス5度前後だっただろうか、ひたすら性自認除雪車で孤軍奮闘。3時間は経っただろうか。この時はもう無心でただスコップを振り回し、ママさんダンプを押していた。膝丈ほど積もっていた雪は綺麗になくなり、そこには綺麗な道ができていた。無事車は出庫できそうだ。
しかし私には時間がない。このまま急いで千歳へ行かなくてはならない。
明日のキハ40形4連も大事だが、今日のキハ150形4連の方転回送も撮らなくてはならない。というか希少価値的にはこっちのほうが高いので、千歳バルブだけでも抑えたい。
なんとやってきたのは、4両ではなく3両のキハ150形。
???
なんでだよ。話が違うじゃないか。
4両って聞いたから来たんだよ。
まぁ3両でも撮るけど。
…………
なんか物足りない。
上2灯がLED化されてしまった現在から見ればこれでも価値ある記録だが、なんとも後味の悪い結果となってしまった。
よくよく考えてみればこの数日前に1両故障で苗穂に緊急入場していた。たぶんそのしわ寄せで減車されたんだろう。迷惑な話だ。
萎えながら札幌へ帰還。
どうせ帰ってもすることないので最後の283系で運転されるおおぞら号を見送ってから帰ることにした。
駅のベンチに腰掛け、友達と話すためにほんの数十秒荷物から目を離すと、目を戻したころには先ほどまでたしかにそこにあったはずの三脚が消えていた。
「盗まれた」
そう直感で感じ駅の窓口に行くと、遺失物として届けられていた。
余計なことしやがって。
プチトラブルこそあったものの、キハ283系による
おおぞら12号が数分遅れで入線。
これにておおぞら号で走るキハ283系は最期だ。
正直自分はキハ283系をあまり好きではなかったが、それでもかっこいい車両だとは思う。
来年から石北線でまた会えると分かっていても、長い編成を連ねて走る姿はもう見れないと思うと心にぐっと来るものがあった。
帰りは23時37分発、最終の石狩当別行で帰宅した。
これも明日から駅名が石狩当別から当別に変わるので、石狩当別行という行き先は今日で見納めとなってしまう。キハ283系よりこっちのほうが名残惜しかったのは内緒。
さて、ここからが本題である。
翌朝、2時に起床した私はそのまま親を叩き起こし、先ほど3時間かけて除雪した家の前の道を低速で抜け、車は深夜の札幌を軽快に走る。
途中平和駅付近でガソリン代要員として呼んだ友人ら2人を車に乗せ、一路十勝を目指す。
当初の予定では親は既に仮眠済みなので運転してもらい、撮影者たちは走行中の車中で仮眠を取る予定だったが、話が盛り上がりすぎてしまい、ほぼ寝ないまま新得の街に突入した。
午前7時・池田町
ものすごく浅い仮眠しかできず眠くて仕方ないが、まもなく帯広発のキハ40×4がやってくる。
電車は待ってくれない。これは乗る上でも撮る上でも共通だ。
予定だと北海道色4連の予定、晴れれば順光だが、天気は残念、、、
ただ、久々に電車が撮れる、その行為自体に価値があったのだ。
途中天気が怪しい箇所が何箇所かあったが、最後は見事な晴れ。
噂に反してタラコも2ヶ月後に検査出場、ピカピカになって旭川に転属したのでまたそのうち走ると思ったツータラツータラ編成は再度実現することはなく、1766は2024年3月、1758,1749は2024年6月に廃車。
現在は先頭に立って花束を掲示していたツートン色1759が日高線で最後の活躍を見せている。あ、そうそう。あえて触れてこなかったがこの花束についても一波乱あったのだが、それはまた別のお話🤫
さて、この頃はまだ少し減った程度だったキハ40も近年は急激に数を減らし、現在旅客運用をしているキハ40は最盛期の1/10以下にまで減少している。
二兎を追う者は一兎をも得ず
恋愛と撮り鉄の両立など不可能なのだ。
これを読んだ彼女いる系撮り鉄のお前らはさっさと別れて、電車をしたほうが幸せになれる。俺が断言する。
見栄?プライド?そんなのどうだっていいじゃないか
そんなつまらないもののために自分に嘘をつき、真実から逃げ続ける人生、何が楽しい?
電車が好きなんだろ?電車が撮りたいんだろ?
素直になれよ。
偽りの自分からいつになったら抜け出せるんだ?
気を使いながら彼女と石橋を叩いて渡るような会話をするより、オタクとノンデリカシーな会話をしながら順光の電車を撮ったほうが楽しいに決まっている。
俺らには電車がある
カッコいい電車撮って人生豊かにしようや!
2025.11.4


















