光琳茶会が来週に迫ってきました


去年の光琳茶会の折

家元がMOA美術館館長に


自分が元気なうちにここで釜を掛けたい

MOA創始者の岡田家と武者小路千家の関係を知らせていくために掛けたい


と直訴した


この茶会は美術館が主催ではなく

東西の茶道具商が光琳茶会世話人会という組織を作りそこが主催となっている


世話人会の役員会で早速議題になり

では来年に若宗匠とご一緒に掛けて頂きましょう

ということになった


その時から

この茶会はお前に任せる

と言われ

お手伝いのお願い

宿や食事の手配、美術館との相談、茶道具のことなど諸々家元と相談してやってきた


その茶会がもう目前に迫っている


ほぼ準備は整った先日の東京での稽古の夕食のとき


この茶会、日露戦争に例えるとお前は誰やろうな


と突然のご下問


せいぜい持ち上げて

秋山真之ですかね

と言うと


あれはせいぜい中佐や

まあ児玉源太郎やろうな


と師匠はのたまう


あの児玉源太郎だ


と言っても知らない方も多いでしょう


修業中

夕食が済むと師匠がおもむろに

ちょっとアレ見ようか

と言う


アレとは

『明治天皇と日露大戦争』

嵐寛寿郎が明治大帝役をした

日本人の5人に1人が見たという映画


四方の海 みなはらからと思う世に

など波風のたちさわぐらん


という御製が有名



こちらは二百三高地


右 乃木大将 仲代達也

左 児玉源太郎 丹波哲郎


私は参謀

師匠の意思を実現する役目

この2人と同じ役回りなのかもしれない


家元とは旧満州にも行ったことがあり

実際に203高地にも立ったことがある

そしてこの映画を度々一緒に見ている


確かに臺灣にご縁もあるが。。。


児玉は総参謀長で大将

今までよくやってくれたということなのだろうか

しかし


うちの師匠、大山巖元帥のようになってくれるだろうか。。。


下手打ったら腹切れよ!

と言われている


さて生き残ることができるだろうか