今日の箇所(ネヘミヤ 7:61-72)には、信仰共同体の回復には、憐れみと献身の心が重要であることが示されています。

 

帰還者の中には、出身を証明できない者たちも居ました。 61‐62節に言及されている人たちは、民衆の内、出身地域や家系の分からない者たちで、捕囚地バビロンから来たことは明らかでしたが、イスラエル人であったかどうかを証明できない者たちでした。

 

しかし、彼らが名簿に入っているということは、イスラエルの民として受け入れられたことを意味しています。 ただ、祭司の場合は、必ずレビ部族の祭司の家系の者でなければならないため、系図を厳格に確認しました。 祭司の系図に名がない者や、血統とは関係なく結婚して系図に入った者は、祭司職を果たすことができないようにしました。 憐れみは重要ですが、神様の基準を歪めてはならないのです。 民は、神様の定め通りにまったき礼拝を捧げるために、最善を尽くしたのです。

 

帰還者たちは、財産のみならず、奴隷たちも連れて来ました。 「男女の歌い手」は、神殿の聖歌隊ではなく、娯楽を提供する者たちであろうと推測されます。 また、ここに記されているらくだやろばは、捧げ物を運ぶ手段であったと思われます。 このように家畜の数が多いということは、捧げ物も多かったことを意味します。

 

一族のかしらのある者や総督、その他の民が、工事のために多くの捧げ物をしました。 神様は、捕囚生活の中でもご自分の民の生活を守り、一部の民を豊かにしてくださいました。 彼らは、神殿を建てたり、維持したりするために、自分の財産を喜んで献げたのです。 信仰共同体の回復のために、神の御国のために、神様が与えてくださった財産を喜んで献げることは、美しい献身です。

 

系図が分からない者のような私を、御国の民としてくださった神様の憐れみに感謝します。 王である祭司として自分も召してくださった神様の恵みを憶え、それにふさわしく生きたいと願います。 資格のない者にも施される神様の無条件の愛に感謝し、自分に分かち合えるものはすべて分かち合っていけますように。 御霊の照らしと導きがありますように。