今日の箇所(第一歴代誌 11:10-19)には、いのちがけの忠誠と献身を受けるべき唯一の存在は、神様であるべきであることが示されています。

 

王国を堅く建て上げるためには、忠実な勇士が必要です。 ダビデを助けてその王権を強固にした勇士のかしらたちが紹介されています。

 

30人のかしら「ヤショブアム」は槍を振るって一度に300人を刺し殺し、三勇士の一人である「エルアザル」はパス・ダミムでダビデと共にペリシテ人に立ち向かって戦いました。 人々が敵の数に圧倒されて逃げ出しても、エルアザルは踏み止まって大麦の畑の真ん中で最後まで戦い、大勝利を収めました。

 

一見、優れた英雄の武勇伝のようですが、これは神様が為された大いなる救いのみわざでした。 ダビデ王国が神様のみことば通りに建てられ、神様の大いなる救いを経験したように、みことばの上に立てられる共同体は必ずまことの回復を経験するのです。

 

続けて、30人のかしらの内の3人の勇士(三勇士)のエピソードが記されています。 ダビデが要害に居た時、ペリシテ人がベツレヘムに駐屯していました。 ダビデが切実な思いで「誰か私に、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたら良いのだが」と言うと、この3人はペリシテの陣営を突き破ってその水を汲んで来ました。 しかし、ダビデはどうしてもその水を飲むことができず、それを神様の御前に注いで献げました。

 

このエピソードで強調されているのは、三勇士の忠誠をダビデ自身が受け取らず、真の王である神様に献げたことです。 私たちの忠誠と献身は、人に向けられるのではなく、唯一の王である神様に向けられるべきです。

 

みことばに従って行動するなら、神様の救いと勝利を経験できると信じて歩みたいと思います。 神様が立てられた指導者を尊び、人に良く見せようとするのではなく、ただ神様に忠実に仕えて行くことができますように。 いのちと力を尽くして神様に仕える霊的戦士となることができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。

今日の箇所(第一歴代誌 11:1-9)には、神様が共に居られるなら、神の約束はすべて叶えられて行くということが示されています。

 

神様がサムエルを通して語られた通り、ダビデが王となります。 全イスラエルは、ヘブロンに集まって、ダビデを王としました。

 

彼らは自分たちのために戦ってくれる王ではなく、「あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがわたしの民イスラエルの君主となる」(第二サムエル 5:2)と言われた神様のみことばに基づいて、ダビデを王としたのです。 ヘブロンで、ダビデは神様の御前にイスラエルの全長老と契約を結びます。

 

歴代誌の著者は、神様がダビデに約束された永遠の王座が続いていることを、帰還した共同体に思い出させ、絶望的な現実の中で、神様の変わらない約束に希望を抱かせようとしたのです。 暗い現実の中でも、神様は真実に約束を守られる方です。

 

エルサレムは、四方が深い谷で囲まれた、難攻不落の町でした。 カナン征服の当時、ユダの子孫はエルサレムに住んでいたエブス人を追い出すことができませんでした(ヨシュア 15:63)。 ダビデがエルサレムを占領することによって、カナンを征服せよという神様の命令がついに果たされたのです。

 

エブス攻撃の先頭に立ったヨアブは、司令官となって、ダビデ王国の拡大と安定に重要な役割を果たしました。 ダビデはエルサレムを補修してそこに住み、イスラエルの首都としました。 ダビデがますます大いなる者となったのは、軍事力のためだけでなく、全能の神様が彼と共に居られ、助けてくださったからです。

 

「神が共に居られるなら」荒廃した地も回復し、崩壊した共同体も新たに建て上げられ、強められるのです。

 

待ち続けることに疲れた私に、主の約束は必ず成就するという希望を与えてくださり、感謝します。 主が共に居られることが最も大きな力であると告白します。 日々主と共に歩むことによって強められ、闇を退けて、難攻不落の状況の中でも勝利の凱歌を歌うことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。

今日の箇所(第一歴代誌 9:35-10:14)には、神様に背を向け、自分の思い通りに行動する者の運命は、歴史の中で消えて行くだけであることが示されています。

 

サウルはイスラエルの初代の王です。 しかし、彼の家には悲劇的な死が続きました。 ペリシテ人の激しい攻撃により、イスラエル人は逃げましたが、ギルボア山で刺されて倒れました。 そして、サウルの3人の息子たちもペリシテ人によって打ち殺されました。

 

集中攻撃に遭ったサウルも必死で逃げましたが、矢で射られて重傷を負います。 最後は道具持ちに自分を殺すよう命じましたが、道具持ちが恐れて従わなかったため、サウルは自ら剣の上に倒れ込んで命を断ちました。

 

サウルはイスラエルの民の念願だった「戦ってくれる王」でした(第一サムエル 8:19-20)。 しかし、皮肉なことに、戦場が彼の最期の場所となってしまいました。 サウルの失敗は、王である神様を捨てた者の最期がどうなるかを明らかに示しています。

 

サウルが悲惨な死を遂げたことは、神様に罪を犯した結果でした。 彼は神のみことばを守らず、危機の時に神様に尋ねませんでした。

 

ペリシテ人との以前の戦いの時も、戦いを前にして、サムエルの到着を待ち切れずに直接捧げ物を献げ、律法を破りました(第一サムエル13章)。 その後も、アマレクを滅ぼせという命令に背いてアマレクの王と家畜を生かし、再び神のみことばに背きました(第一サムエル 15章)。 その上、ペリシテ人の大軍を恐れて、霊媒の女を頼りました(第一サムエル 28章)。

 

彼は最期の瞬間も神様を求めず、自分の名誉のために自ら命を断ちました。 王である神様を捨てて、自分の思うままに行動したサウルは、こうして歴史の中から消えて行ったのです。

 

王の王であられる神様に尋ねず、焦りと欲望に駆られて、自分の思いに従って行った数々のことを悔い改めます。 失敗したその場ですぐに立ち返り、心の王座を主に譲りたいと思います。 悲惨な没落を辿った者たちの道を進まぬよう、最後まで主のみことばに従って行けますように。 御霊の照らしと導きがありますように。

今日の箇所(第一歴代誌 7:1-9:34)には、神様を中心にする時、回復が始まるということが示されています。

 

国の滅亡と捕囚という暗い歴史の中でも、神様の約束は変わることがありません。

 

7章には、イッサカル、ベニヤミン、ナフタリ、マナセの半部族、エフライム、アシェル部族の系図が記されています。 ベニヤミンを除けば、これらはすべてかつて北イスラエルに属していた諸部族です。 これは、神様が成し遂げられる回復が南ユダだけでなく、北イスラエルも含むイスラエル全体に及ぶことを示しています。

 

8章では、ヤコブの末子であるベニヤミンの部族の系図を記して、膨大な系図が締めくくられます。 ベニヤミン部族を最後に詳しく記していることは、12部族の完全な回復と一致への希望を抱かせます。 私たちも、約束された回復への希望の歩みを止めてはなりません。

 

9章には、バビロン捕囚から帰還し、エルサレムに定着した人々のうち、まずユダ族、ベニヤミン族、エフライム及びマナセ族が記されています。 ユダとベニヤミンは南ユダを、エフライムとマナセは北イスラエルを象徴しています(第一列王 12:21、エゼキエル 37:16)。 したがって、彼らの定着は、神様が成し遂げられる回復が始まったことを意味しています。

 

後に続く祭司とレビ人の名簿は、帰還共同体の中心が神様であることを示しています。 祭司は神の宮での礼拝の奉仕を任され、レビ人は門衛の職務や聖所の器具の管理、供えのパンの準備、賛美の務めなどを任されました。

 

この詳細な名簿は、神様を中心に生きる時、神の民としての真の回復が完成することを物語っています。 回復の主権者は、神様だからです。

 

真の回復は、人生の中心に神様をお招きすることから始まることを教えられました。 自分が主人になろうとする態度を捨て、約束を成し遂げられる神様だけに信頼して行けますように。 兄弟姉妹と一つになり、崩れ去ることのない神の御国のために協力して働けますように。 御霊の照らしと導きがありますように。

今日の箇所(第一歴代誌 4:1-6:81)には、神様は、信仰による祈りに答えてくださる方であることが示されています。

 

神様は、私たちの信仰の祈りに答えてくださる方です。 4-5章には、ユダ、シメオン、ルベン、ガド、マナセの半部族の系図が記されています。 系図の中に注目すべき出来事が2つあります。

 

その1つは、ヤベツが神様に祈ったことです(4:9-10)。 彼は、神様に祝福を求め、自分の地境を広げ、災いから遠ざけ、痛みを覚えることのないようにしてくださるよう願い求め、神様はその祈りに答えてくださいました。 これは、「痛み」という意味である「ヤベツ」という名を与えられた彼が、生まれながらの限界を超えられるよう願い求めた祈りであり、決して利己的な欲ではなく、苦難の連鎖を断ち切って新しい人生を歩みたいという霊的渇望でした。

 

もう1つは、ルベンとガドとマナセの半部族が戦いの時に神様に叫び求めたことです(5:18-20)。 彼らは、周辺民族と戦う時に神様に叫び求め、神様はその祈りに答えてくださいました。

 

この2つの出来事が示していることは、神様に拠り頼んで呼び求めるなら、神様が必ず答えてくださるということです。 神の民は、どんな辛い状況にあっても、祈るというオプションを持っています。 信仰の祈りに、神様は必ず答えてくださいます。

 

6章は、レビの子孫について記されています。 レビ族の内、アロンの子孫は、大祭司として「宥めの日」に至聖所に入り、民のために宥めを行う重大な使命を果たしました(レビ 16章)。 それ以外のレビ人は、祭司の補助や律法を教えること、また会見の天幕の前で賛美する務めを担いました。

 

大祭司の系図は、バビロン捕囚となったエホツァダクの代で途絶えたように見えましたが(6:15)、神様は彼の子ヨシュアを大祭司とし(ハガイ 1:1)、神様と帰還共同体に仕えさせました。

 

アロンの子孫である祭司たちや賛美隊(ヘマン、アサフ、エダン)の系図は、礼拝を中心とした人生の大切さを伝えています。

 

繰り返される平凡な毎日の中でも、神様を覚えて歩みたいと願います。 どんな状況でも主の御顔を求めて祈り、神様の働きを黙々と行って行けますように。 今日も変わらず働かれる神様の真実を、自分の人生の中に記して行けますように。 御霊の照らしと導きがありますように。