今日の箇所(第二列王 4:8-17)には、神様は、対価を求めない細やかな配慮ともてなしを喜ばれ、大きな祝福を与えられるということが示されています。

 

対価を求めず人を助ける心は、尊いものです。 エリシャがガリラヤの南の地域のシェネムを通るたびに、ある裕福な女が家に招いて、食事をもてなします。 そればかりか、彼女はエリシャがその地域によく来ることを知り、エリシャのために部屋を一つ用意しようと夫に提案し、エリシャがいつでも滞在して、働きをしやすいように配慮しました。

 

当時、預言者たちの生活は苦しかったので、彼女は自分の家の財力をもってエリシャに仕えようとしたのです。

 

シェケムの女は夫に、エリシャは「神の聖なる方」、つまり、真の預言者であると告げました。 アハブの時代を経て、神様への信仰が希薄な人が多かった中、シェネムの女は神様への恐れと信仰を失っていなかったのです。

 

エリシャは、細やかな配慮でもてなしてくれる女に報いたいと考えます。 そこで、願いを聞くために、付き人のゲハジを彼女に遣わします。 「王か軍の長に」という表現は、かなり難しい願いであっても聞きますよという思いがこもっている表現です。

 

ところが、女は、今の生活に十分満足していると言って、提案を固辞します。 彼女には、子どもがいないという深刻な悩みはありましたが、その状況を受け入れて、現在の生活に満足し、欲を持たずに生きていたのです。

 

エリシャは、ゲハジを通して、彼女に子がおらず、夫も年を取っていることを知ります。 エリシャは彼女に、翌年の今頃、男の子を抱くようになると告げますが、既に期待が何度も裏切られて来たのでしょう、女は気休めは止めてくださいと言って信じません。

 

ところが、そのエリシャの言葉は、その通りになり、女は子どもを得ます。 神様は、細心の配慮で神の人に仕えた女に、奇跡のような贈り物をくださったのです。

 

福音宣教の働きを、祈りと経済的支援によって、喜んで助けることができますように。 「最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしたのです」というイエスさまの言葉を覚え、仕える場で最善を尽くすことができますように。 主のみこころのために働く人々に、主の豊かな祝福が臨みますように。 御霊の照らしと導きがありますように。