今日の箇所(第二列王 3:1-12)には、危機を回避する最善の方法は、神様に尋ねることであるということが示されています。

 

アハズヤに代わって、アハブの子ヨラムがイスラエルの王となります。 ヨラムは、父が造ったバアルの石の柱を取り除く肯定的な面と、ヤロブアムの道から離れない否定的な面の両方を併せ持っていました。 イスラエルの初期に造った偶像は取り除きませんでしたが、バアルを捨てたわけです。 これは、主の目に適ったことでした。

 

モアブは、アハブが死に、アハズヤが病気になっていた時、イスラエルに背いて、属国から抜け出しました。 そこで、ヨラムは、再びモアブを征服しようと、戦いに備えます。 彼は、ユダの王ヨシャファテに助けを求め、ヨシャファテは快く一緒に戦うと答えます。 モアブの独立は、ユダにとっても脅威になるからです。

 

しかし、彼らは、戦いには備えても、神様に伺いを立てませんでした。

 

ヨラムは、年長者で戦いの経験豊富なヨシャファテに、どの道を上って行くかと尋ねます。 ヨシャファテは、エルサレム、ヘブロン、アラデ、そしてエドムの荒野を通って、モアブの南端を打つことを提案します。 エドムの力を借りることができるからです。

 

このようにして、イスラエルとユダとエドムの連合軍がモアブを打とうと進軍しまずが、荒野で回り道をしたので、7日間で水が足りなくなるという事態に陥ります。

 

ヨラムは、困難にぶつかると、すぐに神様に不平を言いましたが、ヨシャファテは、同じ状況で、神様を求めました。 神の預言者エリシャを紹介された彼らは、神様のみこころを知るために、エリシャのところに向かいます。 行程が少し遅れたとしても、神様に正しい道を求めつつ歩むことが、聖徒の持つべき知恵です。

 

罪は、個人を超えて、次世代まで続く問題であることを、深く自覚したいと思います。 神様の前で過去に自分が成し遂げて来たことに酔いしれるのではなく、今捨てるべき罪に目を向けることができますように。 目の前の現実の問題に落胆せず、どんな時でも神様に望みを置き、神様に拠り頼む信仰を持つことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。