今日から第二列王記に入ります。 今日の箇所(第二列王 1:1-8)には、空しい偶像を求める心は、神様に忌み嫌われ、怒りの裁きが下されるということが示されています。

 

困難な時に何に頼るかが、その人の信仰を表します。 イスラエル王アハズヤは、屋上の欄干から落ちて、重体に陥りました。 彼は、バアル・ゼブブに使者たちを遣わし、自分の病が治るかどうか、伺いを立てさせます。 バアル・ゼブブは「蠅の主」という意味で、エクロン地域で信奉されていた神のようです。

 

困難な状況に陥った時、真っ先にバアル・ゼブブを思い起こしたことからも、アハズヤ王が、イスラエルのまことの神様を忘れて、異邦の神々を信奉していたことが分かります。 

 

神様は、ご自分を無視して、人間が造った偶像に伺いを立てる悪行を責め、アハズヤに死を宣告されます。

 

イスラエルのまことの神様は、妬む神であられます。 イスラエルの真の王であり、あらゆる問題をご存じで、それを解決してくださる方は、生きてられる唯一まことの神様だけなのです。

 

王の使者たちは、バアル・ゼブブのところには行かずに、王のところに戻って来ます。 王の命令よりもエリヤを通して語られた主の命令に従ったのです。 アハズヤがバアル・ゼブブに使者たちを遣わしたことは、公に神様を無視する行動でした。

 

神様の恐ろしい裁きを伝え聞いたアハズヤは、謙遜に悔い改めるのではなく、誰がその言葉を伝えたのかということに関心を持ちます。 「毛皮を着て、腰に皮の帯を締めた人」と聞いて、彼はすぐにエリヤであることに気付きます。 エリヤの象徴となった独特な服装は、彼がいつも追われていて、荒野や山で暮らしていたことを表しています。

 

私たちは、困難な時ほど、まず神様を求め、神様に責められる時には、速やかに、謙遜に悔い改める必要があります。

 

どこにでも居られ、何でもご存じである神様をまず求める信仰者となれますように。 神様が共には居てくださっていないように感じる時、その感情に騙されず、どんな状況にあっても、神様だけに拠り頼むことができますように。 私たちを生かし導いてくださる神様のみことばに従う恵みを、主が与えてくださいますように。 御霊の照らしと導きがありますように。