今日の箇所(第二ペテロ  3:1-9)には、主イエスの再臨がすぐに来ない理由について記されています。

 

昔も今も、主の来臨を嘲る者たちがいます。 ペテロは、主の命令を思い出させるために、特に主の来臨について再確認させます。 

 

当時、主の再臨について批判していた者たちは、ユダヤ教や異教的な立場から、創造の教理やキリストの福音を嘲っていたようです。 しかし、創造はキリストの働きの根幹であり、神様は世を救うためにキリストを遣わされました。

 

ところが、偽教師たちは創造を語りながらも、信じてはいませんでした。 その結果、彼らは、神様がノアの時代に洪水で世を滅ぼされたように、火で裁きを受けることになるでしょう。

 

その日には、以前の天と地は無くなり、すべてのものが新しくされるのです(黙示録21:1,2)。 真の信仰者は、「アーメン、主イエスよ。来てください」(黙示録22:20)と告白するのです。

 

裁きが遅れているのは、神様の愛のゆえです。

 

神様の時間の計算法は、私たちとは異なります。 ペテロは、主には一日が千年のようであり、千年が一日のようであると述べます。 「千年」とは、数えることのできない長い期間を意味します。 主には、物理的な時間の意味が適用されません。 万物の創造主であられる神様は、世の原理に従属せず、時空を超越しておられます。

 

それに対して、人は主の時間を物理的にしか経験できません。 それゆえ、主の約束の成就が遅れていると考えてしまうのです。

 

しかし、これは、すべての人が悔い改めて救われることを願われる神様が、愛をもって忍耐しておられるゆえなのです。 主の約束は必ず実現され、それが遅れているのには理由があることを、私たちは思い起こすべきです。

 

自分のために忍耐し、待ってくださっている主の愛と無限の恵みに思いを馳せたいと思います。 堕落して霊的に鈍くなっている私を見捨てることなく忍耐強く待ち、主の再臨を待ち望む者へと新しく造り替えてくださっている主に感謝します。 神様が与えてくださった救いの恵みを覚え、今日もきよく誠実に信仰の歩みを続けることができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。