今日の箇所(第二ペテロ 2:12-22)には、偽りの教えに従う者を待つ、空しく悲惨な末路について記されています。

 

偽教師たちは、捕らえられ、殺されるために生まれてきた理性のない動物のように、分別のない行いをします。 彼らの内にみことばがないか、みことばを学んだとおりに行わないからです。

 

彼らは、呪いのほかには相応しい懲らしめがない者たちで、ペテロはベオルの子「バラム」を彼らの先祖として挙げています。 バラムは、神の御名に拠り頼みながらも、不義の報酬を愛してモアブの王バラクの招きに応じ、自分の乗ったろばが剣を持った主の使いを見て道を避けた時さえも、分別なく行動しました(民数記22章)。

 

ペテロは、それらしい理由で欺く偽教師たちを、バラムの子孫と見なしたのです。 主にかこつけて別の目的を成し遂げようとする者は皆、偽教師です。

 

真理から外れた者たちは、偽りを行うしかありません。 偽教師たちは「水がない泉」、「突風で吹き払われる霧」のような空しい存在に過ぎず、彼らの行き着く先は「深い闇」です。 彼らは、かろうじて偽りを避けた者たちを、肉欲と好色によって誘惑し、倒れさせます。 また、自由を与えると約束しますが、自分自身は「滅びの奴隷」となっています。

 

キリストを知って世の汚れから逃れた後に、再び汚れに陥るなら、その時の状態は初めの状態よりももっと悪くなります。 箴言26:11にある自分が吐いたものに舞い戻る犬や、身を洗ってもまた泥の中を転げ回る豚のことわざは、彼らが本来キリストを受け入れなかった者たちであることを表しています。

 

偽教師たちと彼らに従う者は皆、悲惨な結末を迎えることになるのです。

 

自分の人生に主のみことばがなければ、小さな誘惑にも簡単に負けてしまうだろうことを告白します。 快楽ばかりを追うこの世の流れに振り回されず、神様のみこころを見分けられるよう、いつもみことばに留まることができますように。 主が私を福音を伝える働きに用いられる器としてくださいますように。 御霊の照らしと導きがありますように。