今日の箇所(第一列王 18:1-15)には、神様が用いられるのは、人を恐れず、みことばに従う者であるということが示されています。

 

雨や豊作も神様の恵みです。 干ばつを宣言してから3年後、神様はイスラエルにご自身を現すために、エリヤをアハブのところに遣わします。

 

アハブの家来オバデヤは神様を恐れる人で、イゼベルが神の預言者を殺した時、100人の預言者を匿って、彼らに食べ物を提供した人です。 「イゼベルが主の預言者たちを殺した時」という言葉は、アハブの承認を受けてイゼベルが自分に反対していた神の預言者たちを殺したことを指しています。

 

その結果、北イスラエルの飢饉はさらにひどくなり、王はすべての家畜を失う危機に瀕します。 預言者を「殺す」と家畜を「絶やす」に該当するヘブル語は、どちらも「カルト」(「切る」という意味)で、預言者と家畜の死が関連付けられていることが分かります。

 

エリヤはアハブに会いに行く前に、まずオバデヤに会います。 そして、アハブのところに行って、自分がここにいることを知らせるようにとオバデヤに言います。 しかし、暴君であるアハブを恐れていたオバデヤは、今までも神様の御手によっていつも忽然と姿を消して来たエリヤの言葉を信じません。

 

オバデヤの言葉を通して、アハブとイゼベルがエリヤを殺そうと血眼になっており、エリヤについて間違った情報を伝える人を殺して来たという事実が判明します。 これは、アハブの暴政がいかにひどかったかを表しています。

 

エリヤは、「万軍の主」の御名と神様が生きておられる事実によって誓い、絶対にアハブに会うと約束します。 まことの雨と豊穣を与えられる神様を現すことが目的であるため、エリヤはアハブを恐れることなく、ただ神様の命令に従ったのです。 神様が用いられるのは、人を恐れることなく、神様のみことばに信頼し、従う者です。

 

雨を降らせる方も、止ませる方も、神様であることを信じます。 みことば通りに実現される神様に信頼し、いつもみことばに従うことができますように。 みことばを握り締めて、どんな心配や恐れも振り払い、すべてを働かせて益としてくださる神様のみわざを経験することができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。