今日の箇所(第一列王 2:26-35)には、神様のみこころに背いた罪は、いつか必ず裁かれるということが示されています。

 

ソロモンは、ダビデの遺言に忠実に正義を行い、王座を確かなものにします。 ソロモンは、アドニヤが再び反逆を企てた背後には、エブヤタルとヨアブの存在があったことを確信します。 そこで、アドニヤを殺した後、祭司エブヤタルを罷免します。

 

エブヤタルはダビデに忠誠を尽くした神の祭司であったため、むやみに殺すことはできず、ソロモンは彼を故郷に帰らせます。 これは、エリの家に対して宣告された神様の裁きの成就です(第一サムエル 2:27-36)。 エリの家は、神様の裁きを受けて祭司職から追放されましたが、ダビデが苦しかった時に、エリの子孫であったエブヤタルがダビデを助けた功労によって、再び祭司職に就いていました。

 

誰でも神様のみこころに従うなら回復しますが、従わなければ裁きを受けることになります。

 

アドニヤの死と祭司エブヤタルの罷免の知らせを聞いたヨアブは、自分も殺されるに違いないと考え、主の天幕に逃げて、祭壇の角を掴みます。 ソロモンに言い訳をする機会を得ようと考えたのでしょう。

 

しかし、ソロモンは、アブネルとアマサを殺した罪を問い、彼を殺します。 これは、ダビデの遺言に従ってのことでした。 ヨアブを殺すことは、罪のない者の血を流した罪を償わせることなので、主の天幕を汚すことにはならないと判断したのでしょう。 罪を取り除くことの方が、主の天幕で血を流さないことよりも重要だと考えたのです。

 

ヨアブは、長い間持ち越されて来た罪の代価を、ついに払うことになりました。 私たちの行いには必ず代償が伴います。 私たちは常に、高慢になって罪を犯すことなく、へりくだって善を行い続ける必要があります。

 

平和という名目で不義に目をつむり、罪を軽く捉えていた自分を省みます。 どんなに小さなことでも、悪を憎み、裁かれる神様を覚え、いつでも御前に正しく歩むことができますように。 私と私の家族、そして教会が、ただ神様だけに従い、きよさを回復する恵みにあずかることができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。