今日の箇所(詩篇 49:1-12)には、人生は有限であることを悟る者は幸いであるということが示されています。

 

49篇は、知恵ある者が民に教訓を教えている詩です。 知恵ある者は、すべての国々の民に、自分の言葉に耳を傾けよと促します。 そして、竪琴を奏でながら、深遠な真理(謎)を解き明かします。 賢い者は知恵ある者の言葉に耳を傾けます。

 

正しい者は、不正な者たちが付き回り、害を与える状況においても、恐れる必要はありません。 悪者たちもいつかは死に至る有限な人間に過ぎないからです。 自分の財産に拠り頼み、富を誇っている人も、自分と他人のいのちを死から救い出すことはできないのです。

 

いのちを死から救い出す代価はあまりにも高いので、誰もそれを払うことなどできません。 救いは、創造主なる神様の主権に属するものです。 知恵ある者は、自分の財産に拠り頼んだり、富を誇ったりせず、神様だけに拠り頼み、神様だけを誇ります。

 

この世の誰も、死を避けて通れません。 知恵ある者も、愚か者も、等しく死にます。 金持ちだからと言って、貧しい者より長く生きられるわけでもありません。

 

自分の財産に拠り頼み、富を誇っている者も、死ぬ時には結局何も持って行けず、すべて他人に残して去るだけです。 愚かな者たちは、有限なものを永遠のものと錯覚し、土地に自分の名を付けたりしますが、死んだ瞬間、すべてのものがその人の手から離れます。

 

人が尊いのは、富んでいるからではなく、あくまでも「神のかたち」に造られたからです。 被造物として自分の有限性を悟れない人は、滅び失せる獣と異なるところがありません。 知恵のある者は、神様の御前で自分の有限性を認め、謙遜に生きます。

 

この世がすべてだと考えて生きている人々の富や成功を、心のどこかで羨んでいないか、自分自身の心を探りたいと思います。 日々自分の有限性を悟り、意識的に永遠である神様の御手に拠り頼むことができますように。 この世での人生と共に消え失せる富にしがみつかず、ただ神様だけを誇って、謙遜に生きることができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。