今日から、旧約聖書の預言書、預言者ヨエルの書に入ります。 今日の箇所(ヨエル 1:1-12)には、神様を無視して豊かさに酔っていると、突然、裁きの日がやって来るということが記されています。

 

ヨエルは、ユダが滅びる前に活動した預言者です。 彼は、4種類の「いなご(バッタ)」が次々と現れて、穀物と草を食い尽くす様子を語ります。 いなごの災いは、神様との契約を破った民に下る災いの1つです(申命記 28:38)。

 

ヨエルは、いなごの災いと結び付けて、異邦の民の侵略によって、イスラエル(ユダ)が滅びると預言します。 イスラエルは、神様との契約を破って罪の道を歩んだので、懲らしめられ、荒れ果てることになるのです。

 

ヨエルは、「長老たち」(指導者たち)と「この地に住む者」(一般の民)など、地位の高低を問わず、すべての民に裁きのメッセージを告げ、国家的な悔い改めを促します。 また、イスラエルに近づく裁きがあまりにも恐ろしいものなので、彼らの子孫にも伝えて、罪と裁きに対する教訓とするよう促します。

 

いよいよ祝宴は終わり、裁きの時が近づいたのです。 ヨエルは、遊び暮らしていた者たちに、泣き叫べと言います。 「酔いどれ」、「すべてのぶどう酒を飲む者」とは、神様が与えてくださった豊かさによって放縦な生活をし、裁きが下ることにも気付かない愚かな者たちを示しています。 神様を忘れて罪に陥って生きるなら、結局は裁きの日を迎えることになります。

 

獅子のように恐ろしい敵が、イスラエルの豊かさを象徴するぶどうの木といちじくの木をすべて切り倒してしまいます。 畑の刈り入れが無くなり、捧げ物として使う穀物とぶどう酒すらないので、祭儀は中断されてしまいます。 神様の恵みが裁きに変わるなら、喜びは一瞬にして嘆きに変わるのです。

 

豊かさの中にあっても、主を無視すれば、結局は災いの人生になってしまうことを肝に銘じたいと思います。 時が来れば、必ず主の裁きがやって来ることを悟り、罪を遠ざけ、きよく歩みたいと願います。 聖書に記された警告と教訓から学び、自ら悔い改め、周りにも影響できる者となれますように。 御霊の照らしと導きがありますように。