今日の箇所(コロサイ 4:10-18)には、同労者を認め、尊重することの美しさが示されています。

 

神様は常に人を通して働かれます。 パウロは、同労者たちを紹介し、彼らの挨拶を伝えます。

 

「アリスタルコ」は、第三次宣教旅行の時、パウロたちに合流し、エペソでの暴動の際、パウロの代わりにガイオと共に捕らえられた人物です(使徒 19:29)。

 

「マルコ(ヨハネ)」は、第一次宣教旅行の途中、一行から離脱しましたが、誠実な信仰の人に成長して、パウロの信頼を取り戻しました(使徒 13:13、15:38、IIテモテ 4:11)。

 

「ユストと呼ばれるイエス」を含む三人の同労者が割礼を受けていたということは、この三人はすべてユダヤ教からの改宗者であると思われます。 彼らは、神の御国のために労苦し、パウロにとって大きな慰めとなりました。 誠実な同労者は、働き人にとって慰めと喜びとなります。

 

また、誠実な働き人は、教会の力でもあります。 パウロはエパフラスを紹介します。 彼は、聖徒たちがこの世の幼稚な教えに惑わされず、神のみこころを確信して堅く立つことができるよう、いつも祈りに励んでいました。

 

パウロは、エパフラスがラオディキアの教会とヒエラポリスの教会のために大変苦労したことを紹介します。 この手紙がラオディキアの教会でも読まれることを願っていることから、二つの教会が同じ異端の誘惑を受けていたと推察できます。

 

続けてパウロは、おそらくエパフラス不在中のコロサイの教会を任されていた責任者と思われるアルキポの奮発を促しています。 私たちは、主から与えられた務めをそれぞれしっかりと果たし、後日、主に称賛される者となることが求められているのです。

 

尊い同労者を与えてくださり、神の御国のために共に歩ませてくださっている主に感謝します。 時には意見が衝突して心がすれ違うこともありますが、すべてのことを働かせて益としてくださる主が、再び一つとしてくださると信じて歩みたいと思います。 ただ主の愛に捕らえられ、互いにとって慰めと励まし、喜びとなって行くことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。