今日の箇所(箴言 20:15-30)には、知恵に満ちた生き方をする上で最も重要なのは、神様がすべてをご覧になり、私たちの道を定めておられることを覚えることであるということが示されています。

 

「知識の唇」は、金や真珠よりも尊い宝の器です。 知恵のある者は、人を中傷して回る者を遠ざけます。 また、「悪に報いてやろう」と性急に言わず、言葉を制御して静かに神様を待ち望みます。

 

神様が与えてくださる知恵は、「正しい判断」として現れます。 知恵のある者は、他人の保証人になることの危険性についても、騙し取ったパンや利得が後に口の中の砂利のように害になることも、欺きの秤を神様が忌み嫌われることも知っています。 また、何であれ、独断的に行ってはならないということを知っており、人と協議して計画を確かなものにします。

 

私たちは、悪い目に遭った時も、知恵ある者として、軽々しく相手への復讐を考えず、義なる主を待ち望む信仰が求められています。

 

主は、常に私たちを見守り、その歩みを定められます。 ある物を取り分けて、主に献げると軽率に誓っておいて、心変わりするなら、その人にとって罠になります。

 

知恵のある王は、ふるいにかけるように悪しき者を追い出し、車輪を回すように彼らを罰し、恵みとまことで自分と民を守ります。 

 

私たちのまことの王であられる主は、人間の息を「ともしび」とし、心の奥底まで探り出します。 それゆえ、綿密な計画と誠実な努力も必要ですが、神様がすべてをご覧になり、私たちの道を定めておられることを覚えておかなければなりません。

 

若い人の力は栄誉であり、老人の輝きは白髪にあります。 白髪は人生を耐え忍んで長生きした証です。 私たちの栄誉と輝きは、人生の導き手である神様に対する「堅固な信仰」にあるのです。

 

口で告白するだけでなく、行いの伴う愛を実践したいと願います。 何も考えずに話して、後で苦境に陥るのではなく、神様の知恵に基づいて語ることができますように。 人生の道を導かれる神様に信頼し、心と目を神様に定めて歩むことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。