今日の箇所(箴言 11:1-15)には、正直で誠実であることは、神様の祝福を受ける上で、その人の人生においても、またその人が関わる共同体においても、極めて重要であることが示されています。

 

知恵ある者は、正しく経済活動を行います。 神様が「欺きの秤」を忌み嫌われ、「正しい重り」を喜ばれることを知っているからです。 正直で誠実に生きる者は、苦しみから救い出されます。

 

逆に、悪しき者は、不正を犯してでも利潤を得ようとして「欺きの秤」を使います。 そして、高ぶりが満ちると、辱めが彼の人生にやって来ます。 悪しき者が不正に蓄えた財産は、神様の怒りの前では役に立たず、彼が死ぬ時に望みは消え失せます。

 

イエスさまは、金持ちの青年のたとえを通して、人のいのちはその人の財産の豊かさにあるのではないと教えられました。 私たちは、財産に頼るべきではなく、人のいのちを司っておられる神様に拠り頼むべきなのです。

 

正直に歩みつつ、裁き主であられる神様の御前で自分の魂を顧みること、それが知恵なのです。

 

また、直ぐな正しい人の人生は、個人を越えて、共同体に良い影響を及ぼします。 悪しき者が滅び、正しい人が栄えると、町は喜び、盛んになります。 正しい人が町を正しく治めるので、皆が正直に経済活動をし、知恵深い助言によって救いを得るからです。

 

反対に、悪しき者が権力を握ると、隣人を蔑み、人を中傷して回る彼の口によって、町が破壊されます。

 

私たちは、共同体により影響を及ぼす存在となることが求められています。 他の人より多くの知識を持っていても、それを軽々しく表に出さず、むしろ他の人の弱点や痛みを積極的に覆うのです。 そうすれば、共同体が平安の内に成長し、神の栄光を現わすようになるのです。

 

偽りと高慢に満ちたこの世にあって、正直に謙遜に生きることは、決して簡単ではないことを告白します。 しかし、神様だけを仰ぎ見て、神様に喜ばれることを行うことができるよう、主が導いてくださいますように。 この世の称賛や富を追い求めず、誠実と愛によって神の御国を建て上げて行くことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。