今日の箇所(使徒 26:13-23)には、神様に与えられた使命をまっとうする上で、最も重要なのは、神様への「従順」であることが示されています。

 

太陽よりも明るい光は、神様の栄光を表しています。 パウロはそのような光が輝く中、復活の主に出会いました。 「とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」という表現は、牛が農夫の棒を蹴るのは無意味なことだという意味で、つまり神のみこころに逆らったところで、それは無意味であるということです。

 

復活の主はパウロを、ご自分の「奉仕者」、また「証人」として召されます。 パウロの使命は、人々を神様に立ち返らせることでした。 具体的には、彼らの霊的な目を開かせ、闇から光に、サタンの支配から神様に立ち返らせ、罪の赦しを得させて、聖なるものとされた人々と共に相続に与らせることです。 これは、キリストの奉仕者、また証人として召されたすべての信徒が担うべき使命でもあります。

 

続けてパウロは、自分は与えられた使命を忠実に遂行したに過ぎないと自らの無罪を主張します。 彼は、「天からの幻」、すなわち復活の主から与えられた使命に、ただ従ったに過ぎないのです。 パウロは人々に、ただ神様に立ち返り、悔い改めに相応しい行いをするようにと勧めただけでしたが、ユダヤ人たちは彼を捕えて殺そうとしたのです。

 

しかし、それでもパウロは、「今日まで神の助けを受けながら」、あらゆる社会階層の人々に福音を伝えて来たと証します。 そして、自分が伝えた福音、すなわちキリストの受難と死と復活が、旧約聖書の成就であることを明らかにします。

 

パウロは、使命に従って歩む中で、多くの迫害と苦難を味わいました。 一人の魂を闇から光へ、サタンの支配から神様に立ち返らせることには、必ず苦難が伴います。 しかし、その働きを忠実に従順に行う者を神様はお喜びになり、高く上げられるのです。

 

世の奴隷であった自分を、主のしもべとして召し出してくださった神様をほめたたえます。 どんな状況に置かれても、救い主に出会った喜びと感動を忘れることなく、自分に与えられた恵みを大胆に分かち合って行くことができますように。 使命を果たして行く中には必ず苦難が伴うことを憶え、怯むことなく、ただ主の助けを得ながら、前進して行くことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。