今日の箇所(使徒 2:22-36)には、復活により、私たちの主、キリストとされたイエスさまについて証されています。

 

福音の核心は、イエス・キリストです。 ペテロは、人々が信じるべき対象、「ナザレのイエス」について詳しく説明します。 ペテロの説教は、イエスさまのみわざ(22節)、死と復活(23-24節)、ダビデの契約の成就(25-32節)、昇天(33-35節)、結論(36節)から成ります。

 

イエスさまは、十字架の死によって、人類の救いを成し遂げられました。 しかし、死で終わりませんでした。 神様は死の苦しみからイエスさまを解き放たれ、よみがえらせられました。

 

ペテロは、詩篇16篇(16:8-11)を挙げて、ダビデがイエスさまの復活を預言した箇所について語ります。 「彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることはない」というダビデの告白は、メシア復活の預言です。 

 

イエスさまは、この預言を成就することにより、永遠に生きておられる神の御子であることを公に示されました。 私たちは皆、イエスさまの復活の証人なのです。

 

復活し、天に昇られ、父なる神様の右の座に着かれたイエスさまは、約束された聖霊を私たちに注いでくださいました。 聖霊は「イエスの御霊」なので、聖霊降臨は、イエスさまが私たちと今も共に居てくださることを意味します。

 

ペテロは、詩篇110篇(110:1)を引用して、ダビデの子であるイエスさまが、実はダビデの「主」であることを示します。 つまり、イエスさまの持つ栄光の地位と永遠の存在であること、そして今も臨在しておられることを強調しているわけです。

 

イエスさまの死は、神様が定められたことではありますが、人々は自分たちの悪によってイエスさまを十字架につけて殺しました。 イエスさまを死に追いやったのは、あくまでも私たちの罪です。 しかし、神様は、イエスさまをよみがえらせ、昇天をもってイエスさまを神的存在とされたのです。 イエスさまは、私たちの「主」であり、私たちの「キリスト」です。

 

旧約と新約を通して、聖書の主人公はイエス・キリストであることを認め、告白します。 聖霊降臨を経験したペテロを通して多くの魂に告げられた福音が、今日この時代においても生きて力強く働いている事実をほめたたえます。 使徒たちを通して福音が力強く伝えられたように、私たちを通しても力強く伝えられますように。 復活し、天に昇られたイエスさまが再び来られる日を待ち望みつつ、委ねられた使命に励むことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。