今日の箇所(第二サムエル 2:1-11)には、順調な時でも高慢にならず、へりくだって神様に聞き従う真の霊的リーダーシップについて記されています。

 

サウルの死後、ダビデは一刻も早く故郷であるイスラエルに帰りたかったでしょう。 しかし、ダビデは、自分の動向について、まず主に伺います。 以前の失敗から学んだのです。

 

そして、主の示されたヘブロンへと上って行きます。 ヘブロンはカレブに与えられた地で、ユダ部族に属し、イスラエルで最も高い地にある町です。 ダビデの妻アビガイルの故郷カルメルは、ヘブロンから遠くない南方にあり、カルメル人たちがダビデを指示するよう、彼女が架け橋の役割を果たしたことは、想像に難くありません。

 

神様の導きによって、ダビデはヘブロンで、ユダの家の王となります。 王となったダビデは、サウルの支持者たちと戦うのではなく、平和を築こうとします。 ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを手厚く葬ったという知らせを聞いて、彼らを尊び、称賛し、彼らに対して和睦を申し出たのです。 ダビデは、自分に対して順風が吹いた時も、主の御前におけるへりくだりを忘れませんでした。

 

一方で、サウルの軍の長であったアブネルは、サウルの子の中で生き残ったイシュ・ボシェテを連れて、ヨルダン川の東の地マハナイムで、彼をイスラエルの王とします。 この時初めて、イスラエルが2つに分断されたのです。

 

アブネルが実質、軍事権を握っていたので、イシュ・ボシェテは操り人形も同然でした。 イスラエルの王は神様が選ばれます。 アブネルは自分が宗教的に正統に王になることができないことが分かっていたので、サウルの子を王として立て、傀儡政権の樹立を企んだのです。 アブネルは、神様がサウルを捨ててダビデを選ばれたことを知っていたにもかかわらず、イシュ・ボシェテを通して自分の権力を維持しようとしたわけです。

 

人間的な試みでリーダーになっても、長続きしません。 真のリーダーは、順調な時でも高慢にならず、へりくだって神様に聞き従います。

 

世の価値観や欲望に心を奪われ、神様が明らかに示されたみこころから目を逸らしていないか、自分自身を省みます。 状況が順調に見える時でも、常に神様に伺ってから行動できますように。 信仰の歩みの中で出会う人々に対して、心を込めて祝福することができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。