今日の箇所(第一サムエル 19:18-24)には、悪しき企みは神様によって妨害されるということが示されています。

 

サウルに殺されそうになったダビデは、サウルから逃れ、サムエルのもとへ行きます。 彼が頼れる存在は、サムエルしか居なかったのでしょう。 サウルがダビデを殺そうとしていると聞いたサムエルは、ダビデをラマのナヨテに匿います。

 

しかし、ダビデの隠れ場はすぐにサウルに知らされます。 サウルは、ダビデを捕らえるために、使者たちを遣わしますが、そこで不思議なことが起こります。 預言している預言者の一団と、その監督をしているサムエルを見たサウルの使者たちに、神様の霊が臨み、彼等もまた預言し始めたのです。

 

ここで言う預言には、一般の預言とは違って、おそらく恍惚状態になることも含まれていたでしょう。 サウルは3回も使者たちを遣わしますが、結果は同じでした。 これを通して、神様は、ご自分がダビデを守っておられること、そしてサウルの悪しき企みは御前ではまったく力がないことを示されたのです。

 

ところが、サウルは、それでも諦めようとせず、自らラマのナヨテに向かいます。 サウルが着いたラマの井戸は、以前、父のろばを捜すためにサムエルに会いに来た時、娘たちがサムエルの居場所を教えてくれた場所です(9:10-13)。 ろばを捜すために最善を尽くした純粋な青年だったサウルは、権力に執着して、神様のみこころを無視する暴君に成り下がってしまったのです。

 

ナヨテに向かう道で、サウルにもまた、神様の霊が臨みます。 サウルは恍惚状態になって、サムエルの前で衣まで脱いで預言します。 このような姿は、自分の恥が露わになっているとも知らず、理性を失って行動するサウルの霊的状態を表しています。 神様は、悪しき企みを妨害し、その人の霊的状態を露わにされるのです。

 

自分はうまく行っている、しっかりと立っていると考え、自分の考えを主張しようとばかりしていた自分の高慢さと愚かさを悔い改めます。 まずは、主の御前に出て、自分の心を探っていただきたいと思います。 主の御霊によって導かれ、日々きよく真実な者として生きて行けますように。 神様の傍にいつも身を置き、世からは得られない平安を味わえますように。 御霊の照らしと導きがありますように。