今日の箇所(エステル 7:1-10)には、神様は、ご自分に敵対する者を一瞬にして滅ぼすことのできる方であることが示されています。

 

エステルは、王とハマンを、2回目の酒宴に招きます。 ハマンと共に酒宴に出席した王は、エステルの願いが気になって仕方がありません。 それで、酒宴の2日目にも、エステルに彼女の願いを尋ね、王国の半分でも与えるとその意気込みを示します。

 

エステルは、意を決し、ようやく事情を打ち明け、自分と自分の民族のいのちを救って欲しいと願い出ます。 そして、それは、ただ自分の民族を特別に扱って欲しいからではなく、王が受けることになる損失が大きいからだと説明します。 王に対する忠誠心をも織り込んだのです。

 

王は、愛する王妃を殺そうとする者がいるという言葉に驚き、それは誰だと尋ねます。 エステルは、ここは大胆に、「それはハマンです」と答えます。 エステルはここまで、極めて慎重に事を運んで来ましたが、いよいよ決戦に臨むに当たっては、大胆に行動しました。 神様を信頼するとは、ただ無謀になることでもなく、逆にただ何もしなくなることでもありません。 神様を信頼するとは、じっくりと考え、慎重に行動しながら神様の時を待ち、その時が来たら大胆に行動することなのです。

 

エステルの勇気ある行動によって、ハマンの悪しき計略が明らかになります。 王は、怒りに満ちて園に出て行き、ハマンは王に弁解して事態を好転させる機会を逸します。 もし王がハマンのことを心から信頼していたのなら、彼に弁解の機会を与えたことでしょう。 王とハマンの関係は、ハマンが考えていたほど強く緊密なものではなく、ただのビジネスの関係に過ぎなかったのです。

 

ハマンは、自分の状況が不利になったことを察すると、今度はエステルにすがりついて命乞いします。 ところが、ちょうどその時に王が帰って来ます。 王はその様子を見て、「王妃までも辱めようとしているのか」と声を荒げ、さらに憤ります。 ちょうどその時、ハマンがモルデカイを吊るそうと立てた柱があることが告げられ、彼は自分が立てた柱に吊るされ、処刑されることになります。 何とも皮肉な話です。

 

人間がどれほど智謀知略を凝らそうとも、神様はそのような企みを一瞬にして葬り去ることがお出来になります。 私たちは、私たちの背後で私たちを守ってくださっているのは、すべてを統べ治めておられる方であることを憶え、神様を信頼しつつ、慎重に、また大胆に、神様の導きに従って行動を起こす必要があるのです。

 

救おうと思う者を救い、裁こうと思う者を裁かれる主の御名をほめたたえます。 主の目に悪しき考えや行いが自分の内にないか、今一度、自分自身の心を探りたいと思います。 悪しき考えや行いに気付いたら、すぐに主の御前に悔い改めたいと思います。 その上で、どのような危機的状況にあろうとも、主を信頼して、慎重かつ大胆に主に従い、行動を起こして行くことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。