今日から詩篇の続きへと移ります。 今日の箇所(詩篇 12:1-8)には、偽りがはびこっている時代であっても、私たちが拠り頼むべき方は神様だけであることが示されています。

 

ダビデは、「敬虔な人」、「誠実な人」が世からいなくなったと嘆きます。 「敬虔な人」とは、神様の絶えることのない契約的な愛を実践する人、「誠実な人」とは、神様の契約に誠実な人のことです。 つまり、神様の契約に誠実な神の民を指しているのです。

 

人々は、自分の欲のためにへつらい、二心をもって話します。 隣人を自分自身のように顧み、愛すべきなのに、かえって隣人を欺いて利得を得、貧しい人を苦しめています。

 

ダビデは「へつらいの唇と傲慢の舌をことごとく断ち切ってください」と強い言葉で祈ります。 それは、彼らがすべてをご覧になっている神様を恐れることなく、高慢な態度を取り、へつらいと偽りの言葉を語っていたからです。

 

そのダビデの嘆願に、神様は答えられます。 弱い人々の嘆きを聞かれた神様は、「彼を、その求める救いに入れよう」と言われます。 「苦しむ人」とは、みなしごややもめ、旅人、負債のある人たちなどのこと、「貧しい人」とは、他人の下で働く日雇い労働者のような人々のことで、どちらも社会的弱者です。 彼らは、金持ちや権力者たちに抑圧され、嘆きながら暮らしていたのです。

 

ダビデが、神様のことばを「混じりけのないことば」と言い、「土の炉で七度試され、純化された銀」に例えているのは、主はご自分が語られたことをその通りに行われるという確信があったからです。 神様のみことばは、決して変わることはありません。 契約に誠実な神様は、たとえ世の中に悪が蔓延し、卑しいことが崇められ、悪人が幅を利かせている時でも、ご自分の民を決して見捨てず、守ってくださるのです。

 

どれほど時代が混沌としようとも、私たちが拠り頼むべきは、神様とその永遠のみことばだけです。

 

卑劣な者たちが高められ、この世の春を謳歌している姿を見ると、つい溜息が出てしまいます。 唇を造られた神様を恐れず、主のみことばを冒涜するこの時代の罪に、私も惑わされることがないよう、主が霊的な目を開いてくださいますように。 へつらいの唇、傲慢の舌を、私から、そして主にある共同体から断ち切ってくださいますように。 御霊の照らしと導きがありますように。