今日の箇所(出エジプト 29:38-46)には、神の民は、日々、礼拝を通して、神様と親しく交わることが求められていることが示されています。

 

祭司に与えられた最も基本的かつ重要な務めは、毎日、朝と夕に、一歳の雄羊をそれぞれ一匹ずつ、全焼のいけにえとして捧げることでした。 これは、主への食物の捧げ物でした。 つまり、主と共に食事を楽しみ、親しい交わりのひと時を持つということです。

 

この務めは、世々に渡り、会見の天幕の入口において、続ける必要がありました。 神様との親しい交わりのひと時ほど、私たち神の民の毎日にとって重要なことはありません。 旧約の祭儀が行われない今日では、これは、日々のみことばの黙想に該当します。 日々、神様との親密な関係を味わうことこそ、神の民の喜びの源なのです。

 

また、神様との親密な関係を味わうことは、神の民にとって特権でもあります。 神様は、毎日の継続的な捧げ物を通して、イスラエルの民に会う時、会見の天幕、祭壇、祭司は、神の栄光によって聖別されるとおっしゃいます。

 

毎日の全焼の捧げ物を通して、神様は、イスラエルの子らのただ中に住まい、彼らの神となるとおっしゃいます。 そして、それが出エジプトの救いの目的であると…。 神様の救いの目的は、救いそのものというよりも、ご自分の民を聖なる者とし、ご自分と共に居るようにすることなのです。 神の民にとって、聖なる者とされ、日々神様との親密な関係を味わうことは、この上ない祝福、大いなる特権なのです。

 

自分が救われた目的は、ただ自分自身の安心や解放のためではなく、神様との親密な関係を持つためであることに、目が開かれました。 旧約の祭司が、毎日、朝と夕に全焼のいけにえを捧げたように、朝と夕、意識的に主との時間を聖別したいと思います。 神様の御前でみことばを読み、祈りを捧げる親密な祝福のひと時を味わいたいと思います。 主とさらに深く交わることを通して、私の内でますます主の臨在が大きくなり、私の人生が主の栄光で満たされて行きますように。 御霊の照らしと導きがありますように。