今日の箇所(出エジプト 7:1-13)には、覚醒の時を通して、信仰の人が本当に「主の命じられた通りに」従う者とされることが示されています。

 

モーセは、神様に召し出された時からずっと疑心暗鬼を引きずっていました。 神様の主権や力を認めつつも、自分自身に目を向ける時、使命を果たして行く自信がなかなか持てなかったのです。 それゆえ、逆境に陥ると、すぐに自信を失い、諦めムードに心を支配されがちでした。

 

今日の箇所の冒頭で、神様は、モーセがファラオにとって「神」となり、アロンは彼の「預言者」となると約束されます。 この言葉は、モーセを覚醒させます。 自分が神様の代理人となっていることを自覚したのかも知れません。 それまでいつも迷いがちで弱気だったモーセは、この約束が与えられて後、神様の命令に従って、くじけることなく信仰によって行動するようになります。

 

この瞬間以降、モーセは心を定め、アロンと共に「主が命じられた通りに」行います。 神様がモーセを最初に召された時に願っておられたのは、このような神様への信頼と従順でした。 神様は、私たちがこの信頼と従順へと覚醒するまで、忍耐強く待ち、導いてくださいます。

 

神様は、使命をお与えになる以上、それを行うのに必要な力も授けてくださいます。 神様は、ファラオが不思議を行うよう要求することをご存知で、モーセを召された時にお与えになった力を行使させられます。 モーセの預言者であるアロンがファラオの前で杖を投げると、それは蛇になります。

 

ところが、エジプトの呪術者たちも秘術を使って同じことをします。 世の権威も神様の力を真似ることがありますが、それは所詮まがい物に過ぎません。 アロンの杖が彼らの杖を呑み込むことによって、真の権威が明らかになります。 神の力は生きていますが、世の権威はただ生きているふりをしているだけです。

 

目の前で起こったすべてのことを洗いざらい目撃したにも関わらず、ファラオは心を頑なにします。 しかし、ファラオの頑なさや抵抗は、神様の力をさらに現すきっかけを作るだけなのです。 神様の力が現れる証拠を見ても、神様を信じようとしないなら、救いから遠ざかるだけです。

 

勇気を出してみことばに従っても、相手や周りの頑なな態度を見て、くじけてしまいがちな自分を省みます。 ファラオの抵抗が強いほど、神様の力がさらに強く現れるという真実を心に刻みたいと思います。 モーセが神様のみことばを通して神様への信頼と従順に覚醒したように、私も覚醒することができますように。 そして、神様に拠り頼みつつ、神様が自分に委ねてくださった使命を果たし終えるまで突き進む、真に従う者とされますように。 御霊の照らしと導きがありますように。