今日の箇所(申命記17113)には、神の共同体は、人の思いや考えではなく、神のみことばに基づいて裁きを下す必要があることが示されています。

 

契約の民にとって、背教は致命的かつ最大の罪です。 イスラエルが約束の地に入った後、神様を捨てて他の神々に仕え、太陽、月、星などの天の万象を拝んでいる人がいるという噂を耳にした場合、一人の証言だけで即断することなく、少なくとも23人の証言を聞いて、よく調査しなければなりません。 人の先入観や悪意によって無実の人が罪に定められるようなことが起こらないようにするためです。

 

しかし、十戒の第一戒を破って主以外の神々を拝んで背教したことが確かであることが判明したなら、男でも女でも容赦なく石で打ち殺さなければなりません。 悪には伝染性があります。 それゆえ、共同体全体に影響を及ぼさないよう、早いうちに確実に除き去らなければならないのです。

 

神の共同体は、悪を憎み、公明正大に事を処理し、純粋な信仰を守る聖なる存在でなければなりません。

 

また、すべての事件を、最終的な権威である神のみことばに基づいて裁かなければなりません。 カナンの地に入植後、町囲みの中で決め難い事件が起きた場合は、神様が選ばれる場所、つまり神殿に行って、判決を受けなければなりません。

 

モーセの存命中は、モーセが難しい訴え事を聞いて、神様の御前に判決を下しましたが、カナンの地に入った後は、モーセに代わる最高裁判所的存在が必要でした。 その役割を担うのが、中央の聖所の祭司と裁き人であり、彼らは神様から与えられた律法に基づいて事件を裁きます。 それゆえ、彼らの下す判決は、最終的な権威を持っています。 これに聞き従わなければ、神様に逆らう罪とみなされ、厳しく処罰されました。

 

一切の論争に最終的な解決をもたらすのは、神様のみことばです。 神の共同体においては、複雑で異論の多い問題であればあるほど、人間的な思いは捨てて、神様のみことばを黙想し、答えを見出して行かなければならないのです。

 

唯一まことの神様は、偶像を礼拝することを何よりも忌み嫌われるということを胸に刻みたいと思います。 心の中に潜む偶像にも常に警戒し、小さな不義にも目をつぶることがないよう、目を覚まして祈り続けることができますように。 どのような事態が起きても、まず主の御前にひざまずいて祈り、みことばを通して、主のみこころを尋ねて行くことができますように。 主にある共同体をきよく保つために、まず自分自身からきよさを追求して行きたいと思います。 御霊の照らしと導きがありますように。