今日の箇所(申命記131-11)には、私たち神の民は、目に見えるしるしや不思議ではなく、たとえ目に見えなくても、私たちと契約を結んでくださっている主なる神様のみことばに従って生きることが求められているということが示されています。

 

世にはしるしや不思議に満ちています。 しかし、私たちは、神様と関係のないしるしや不思議に警戒しなければなりません。 偽預言者がしるしや不思議を示す時、主はご自分の民が本当にご自分を愛しているかどうかを探ろうとされています。 本当に主に従って歩み、主を恐れ、主の命令を守り、主だけにすがろうとするかどうかを見ておられるのです。

 

預言者とは、異邦の宗教の預言者のことではありません。 神の民の中に混じって、霊的な言動によって人々を欺き、主以外の何かに仕えるようそそのかして来る人たちです。

 

しるしや不思議ばかりを追い求めることは、かえって信仰の成長の妨げになります。 そのようなもので誘惑して来る偽預言者は、信仰共同体から排除されるべきです。

 

私たちを、主以外の何かに仕えるようそそのかしてくるのは、偽預言者だけではありません。 悪賢いサタンは、私たちが最も拒絶しにくい人を通じて、私たちを惑わそうとして来ます。 血の繋がった兄弟や子ども、家族、無二の親友などを用いて来るのです。

 

私たちは、家族や親友に対しては、ついつい心を許してしまいがちです。 しかし、サタンはそのことを重々承知の上で、その人たちを利用して、私たちの信仰を崩そうとするのです。

 

それゆえ、たとえそのような親しい人が主以外の何かを信じるよう誘って来ても、耳を貸してはならないと神様は厳しく警告しておられます。 私たちは、そのようなサタンの計略を見抜き、神様への信仰を堅く守るために、関係を断つなど、断固たる対応をすべきです。

 

虚しい偶像に従うことは、神の敵となることです。 家庭と共同体の中で純粋な信仰を保つことは、私たちに委ねられている重大な責任です。 それゆえ、私たちは、みことばを基準にして物事を見る習慣を培う必要があります。 主のみことばを通して主のみこころを知り、主のみこころに従って歩む時、私たちはサタンの誘惑を見分け、信仰を守ることができるのです。

 

目に見える不思議なことに心を奪われ、誘惑の言葉に気持ちが揺らいでしまう弱さが自分の内にもあることを認めます。 神様だけを見上げる純粋な信仰を保てるよう、主が助けてくださいますように。 小さな偶像礼拝でも目をつぶることなく、断固として断ち切る勇気と力が与えられますように。 御霊の照らしと導きがありますように。