今日の箇所(黙示録41-11)には、天の神の御座とそこで行われている礼拝と賛美が描写されています。

 

ヨハネは御霊に満たされ、天の御座とその御座に着いておられる神様を見ます。 栄光に輝く神様の御姿を直接的に表現することができなかったので、彼は、碧玉や赤めのう、緑玉のような宝石に例えて描写しています。

 

御座の周りにある24の座には、白い衣を着て、金の冠を被った24人の長老たちが座っていました。 彼らは、旧約の12部族と新約の12使徒によって生じた救いの民を象徴しています。 御座には、7つの御霊であるともしびが燃え、稲妻と声と雷鳴が起こり、神様の偉大な力と威厳が表されています。

 

御座の前にある水晶に似たガラスの海は、天の御国のきよさと完全さを表しています。 御座の中央と周りにいる4つの生き物の姿は、獅子、雄牛、人間、鷲のようだと説明されています。 これは、神様が造られた被造物全体を象徴するものと思われます。

 

この4つの生き物は、昼も夜も絶えず神様をほめたたえ、神様に栄光と誉れと感謝を捧げます。 24人の長老たちも、御座の前にひれ伏し、神様のみこころによって万物が創造され、存在していることを賛美します。

 

天と地のすべての被造物は、神様を礼拝するために造られたのです。 私たちの究極的な存在目的は、神様を礼拝することなのです。

 

天の御国は、決して空想上の場所ではありません。 実在する場所です。 そこでは、今も、栄光に満ちておられる神様が、わずかな誤差や失敗もなく、万物と歴史を治めておられ、あらゆる被造物が神様を賛美し、礼拝しているのです。

 

キリストの贖いを通して、神様の完全な統治が実現されている天の御国に住むことが許されているという大きな恵みを受けながらも、そのことをなかなか実感できず、感謝も期待もできていない自分を省みます。 ヨハネが幻で見たように、自分もまた、みことばに記されている通りに、天の御国を心に描き、期待を持って待ち望みたいと思います。 それこそが、今、目の前にある現実の苦難に立ち向かう真の力の源であることを憶えて。 御霊の照らしと導きがありますように。