今日の箇所(レビ記2217-33)には、主に捧げ物をする時に最も大切なのは、主を恐れる心であることが示されています。

 

神の民は、聖なる神様に相応しい捧げ物を捧げることが求められています。 和解のいけにえには、感謝の捧げ物、誓願の捧げ物、進んで捧げる捧げ物があります。 今日の箇所は、誓願の捧げ物と進んで捧げる捧げ物に関する定めについて記されています。

 

和解のいけにえは、傷のあるものを捧げてはなりません。 盲目のもの、傷や腫れ物、湿疹、皮膚病のあるものは、捧げることはできません。 ただし、足が伸び過ぎているもの、縮んでいるものは、進んで捧げる捧げ物としては、捧げることができます。

 

どうせ屠って殺してしまうなら、長生きしそうにないものや、問題のあるものを選びたくなるのが人の性です。 しかし、神様に捧げるものは、不要なものや大切でないものであってはなりません。 捧げ物には、捧げ物の心が込められます。 傷のある捧げ物は、神様を恐れる心が小さいことの表れです。 神様に捧げ物を捧げる時には、神様に受け入れられる心であるかどうかを吟味し、真心から捧げることが最も重要なのです。

 

和解のいけにえのうち、胸と右のももは祭儀を執り行う祭司のものであり、残りはその祭司が隣人と分け合って食べます。 誓願の捧げ物と進んで捧げる捧げ物は、翌日まで食べることができますが、感謝のいけにえは、当日、すべてを食べ尽くさなければなりません。 これは隣人と分かち合うようにさせるためです。

 

神様は、ご自分の民が、ご自分と同じようにきよくあることを願われます。 私たちは、日々、みことばに聞き従って歩む時、きよさを保つことができるのです。

 

罪ある私たちが神様の御前に受け入れられるのは、イエスさまが唯一の完全で傷のない捧げ物としてご自身を捧げてくださったからであることを胸に刻みたいと思います。 私たちが神様の御前に堂々と捧げられるほど聖なるものなど、私たちの内には何もないことを憶えたいと思います。 せめて私と共同体が捧げる礼拝は、神様に喜んで受け取っていただける傷のない捧げ物、真心からの賛美と礼拝とすることができますように。 みことばを守り、きよさを保って、神様の喜ばれる礼拝を捧げることができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。