今日の箇所(レビ記1919-37)には、きよさとは、創造の原理を守ることであることが示されています。

 

神様は、すべての生き物を種類ごとに創造された方です。 その方は、異なる種類の家畜を交配することや、二つの種を混ぜて蒔くことを禁じられます。 神様は、混じりけのない純粋なものを喜ばれるということです。

 

創造の原理は、自然を観察していれば分かるものもあるし、神様のおきての中に戒めのかたちで記されているものもあります。 婚約中の女奴隷と寝ることは罪であり、罪過のいけにえを捧げて贖わなければなりません。 他人のものに手を出す行為は、あらゆる境界を設定された神様への背信です。

 

また、約束の地で実った実は、3年間は無割礼のものとみなして食べてはならず、4年目は最初の実としてすべて主への捧げ物とし、5年目から自由に食べることができます。 これも、神様が設定された境界を重んじることを求められている定めです。 神様の定めに従うなら、豊かな収穫の祝福を味わうことになります。

 

その他、まじないや占い、刺青を避けなければなりません。 これらは、古代中近東の古い慣習であり、神様の創造の原理に基づくものではありません。

 

神の民は、きよさを破壊するものを積極的に避ける必要があります。 売春、安息日を無視すること、神の聖所を軽んじること、老人や寄留者を敬わないこと、不正を働くことは、すべてきよさを破壊することです。

 

売春は、当時、偶像礼拝と密接な関係がありましたし、口寄せや霊媒も、神様よりも死者の知恵に頼ろうとするものでした。 偶像礼拝は、神様の創造の原理を最も大きく傷つけるものです。 すべてを造られ、維持しておられる神様の栄光を奪い取る行為だからです。 神様は、ご自分の民に、神様の創造の原理に基づき、きよさを保つことを強く願っておられます。 そして、これは、今の世に生きる神の民である私たちに対しても、当然、言えることです。

 

旧約の戒めや定めは、イエスさまによって新しい契約が導入された時、すべて古くなって過ぎ去ったと考えてしまって、神様の創造の原理を大切にし、きよさを追求する思いまで、どこか薄まってしまっていた自分を省みます。 神様の創造の原理とその裏にある神様のみこころは、永遠に変わらないことを肝に銘じたいと思います。 神様が忌み嫌われることを、積極的に自分の生活から排除したいと思います。 主が弱くて疎い私を助けてくださいますように。 御霊の照らしと導きがありますように。