今日の箇所(詩篇89:19-37)には、ダビデに対して与えられた恵みと真実の契約について記されています。
神様はダビデをお選びになり、みこころを行わせるために彼に油を注いで強くし、彼と契約を結ばれました。 そして、彼のためにご自身の御手で敵を打ち倒し、彼を高く上げ、繁栄させられました。 ダビデは、主を「わが父」、「わが救いの岩」と謳い、神様はダビデを「長子とし、地の王たちの内の最も高い者」とされます。
これらの記述から、この詩に含まれる言葉は、ただ単にダビデを表しているのではなく、ダビデが予表していたメシヤ・救い主イエス・キリストを表していることが分かります。
イエスさまは、十字架の死と復活を通して、新しい契約を打ち立てられました。 その契約こそ、この詩の内容に相応しい、恵みの契約、福音です。
神様は、どうしても罪に陥ってしまう人間のどうしようもない弱さをご覧になり、憐れみをかけてくださいました。 それゆえ、御子イエス・キリストを送り、私たちの罪の罰を代わりに払わさせられたのです。 そして、人間には勝ち取ることのできない傷のない義を御子に勝ち取らせ、それを信仰を持つ者に無条件でお与えになったのです。
この贖いのみわざにより、イエス・キリストを自分の救い主、自分の人生の主であると信仰によって受け入れる者は誰でも、神様の選びの民とされ、神様の恵みの契約にあずかる者とされるのです。
この契約は、神様の恵みと真実(まこと)に基づいています。 主は、もはやご自分の民が罪を犯しても、その者を罰し、罪に定められることはありません。 もちろん、ご自分の教えや命令をないがしろにした民を、杖とむちをもって懲らしめられることはあります。 しかし、それは、あくまでも懲らしめであって、再び恵みに満ちたいのちへと立ち返らせるために為される愛の行為です。
神様がお立てになる恵みの契約は、人間が過ちや罪を犯しても、決して破棄されることはありません。 それは、その契約が、神様の一方的な愛と恵みによって打ち立てられているからであり、また御子イエス・キリストの贖いのみわざという歴史上既に成し遂げられた事実に基づいているからです。 神様が計画され、神様が成し遂げられ、神様が約束されたものは、誰にも変えることはできず、また何が起ころうとも変わることはないのです。
自分がたとえ罪を犯してしまっても、自分が神の民の一員であるという事実は絶対に変わることがないことを憶え、心から感謝します。 それほどまでに大きな愛と恵みを神様から受けているということを胸に刻み、その愛と恵みに応答して、愛とまことをもって神様のみこころに従って行きたいと思います。 神の民の一員として相応しい、神様に喜ばれるいのちを生きたいと願います。 主が私を日々取り扱い、私を成長させてくださいますように。 御霊の照らしと導きがありますように。