今日の箇所(詩篇 88118)には、絶望的な苦難に瀕する中で、神様だけを頼って切実に祈る心が表されています。

 

この詩は、最初から最後まで、耐え難い苦難を受けて、絶望の中で神様に叫び求める祈りで埋め尽くされています。 詩編全体の中でも、最も深い呻きが込められた詩であると言えるでしょう。

 

「悩み」、「よみ」、「墓」、「死」などの表現は、詩人の心中の究極的な絶望状態を表しています。 彼は、苦しみに取り囲まれた四面楚歌的状況の中、ただ主だけを頼り、すべてが主の主権下にあることを信じて、日ごとに主に向かって両手を差し伸ばして叫び求めます。

 

詩人の苦しみは、昨日今日始まったものではありませんでした。 若い頃から苦難を受け、悩みが絶えない状況がずっと続いていたのです。 しかし、彼は失望しませんでした。 かえって朝ごとに主に向かって心の奥底にある傷を正直に打ち明けます。

 

この地において、私たちは、時として、理由も分からず、終わりも見えない苦難に直面します。 しかし、これらの苦難は、ただ私たちを苦しめるためにあるわけではありません。 神様は、苦難を通して、私たちに忍耐力を授け、様々な教訓を与え、神様に対する信頼を教え、どんな状況にも揺らぐことのない希望と喜びを培わせようとしておられるのです。

 

苦難の時に愛する人々や友人たちが去って行くこともまた、人に信頼せずに神様だけを見上げなさいという教訓です。 苦難の中で真の平安を与えるのは、人の慰めではなく、神様のご臨在だからです。

 

十字架の上で、神様に対して「父よ、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたイエスさまのように、神様に見捨てられたかのような苦難の時に、敢えて神様を信頼し、神様を頼って、神様に叫び求める信仰が求められているのです。

 

絶望的な状況でも、依然、神様に対して正直に自分の痛みや傷を打ち明け、祈り求めることができるのは、聖徒の特権です。 朝ごとに、また昼夜を問わず叫び求める祈りは、問題の解決のみならず、真の人格的成長と霊的成熟をももたらしてくれるのです。

 

苦難が絶望や破滅に終わることのない神の民の特権を心より感謝します。 目の前の苦難に心が折れそうになる時、この世で最も大きな苦しみを十字架の上で受けられた主イエス・キリストを黙想したいと思います。 その上で、今一度、すべてを統べ治めておられる神様を信頼し、愛と憐れみに満ちておられる神様だけを頼って、正直な心で真摯に神様に叫び求めたいと思います。 苦しみから抜け出すことだけではなく、苦しみの中で主のみこころを悟り、人格的、霊的に成長することを望むことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。