今日の箇所(詩篇 86:1-17)には、苦しみの時こそが、神様の「いつくしみのしるし」を経験できる祝福の時となり、敬虔な信仰の歩みを始めるきっかけとなり得るということが示されています。
この詩が記された時の具体的な状況や背景は分かりませんが、この詩の作者であるダビデは、高慢で横暴な者たちの脅かしの中で苦しみの時を過ごし、主に助けを求めています。 彼は、どんな時にも主に信頼し、神様だけを見上げて叫び求めました。
ダビデがしたことと言えば、ただ礼拝を受けるに相応しい偉大なる唯一の主をほめたたえることだけでした。 そして、救いの恵みに感謝して、これからは主の道をますます熱心に学び、真理の内に歩み、主の御名を恐れ、主を崇めて行きますと宣言しただけでした。
これらの言葉が明らかにしているのは、彼が自分の限界と無力さをきちんと認め、心から主の御前にへりくだっているという事実です。 実は、それこそ、神様が私たちに対して最も求めておられることなのです。 神様は、ご自分の助けなしには生きられない存在であることを私たちが悟り、ただご自分のことを信頼し、完全にご自分に拠り頼むようになることを願っておられるのです。
神様は、へりくだる、心貧しい者に力を与え、救いの恵みを施されます。 そして、その人の人生を取り囲んでいるあらゆる不確実性や脅かしを取り除いてくださいます。 神様もまた、罪による霊的停滞や悪者からの脅かしから私たちを救い出し、私たちの人生に「いつくしみのしるし」を残すことを願っておられるのです。
私たちに襲いかかる苦しみが、もし私たちをへりくだりへと導き、神様だけを拠り頼むようにさせるなら、その苦しみの時こそが、神様の「いつくしみのしるし」を経験できる祝福の時となります。 そして、信仰の新しいステージ、より敬虔な主との歩みを始めるきっかけとなり、真の実り豊かないのちへと近づかせてくれる機会となり得るのです。
私たちの人生に「いつくしみのしるし」を残し、私たちをさらなる高みへと導こうとしてくださる憐れみの主をほめたたえたいと思います。 苦しみの真っ只中で、どうか私に自分の限界や無力さに気付かせ、私を真のへりくだりへと招いてくださいますように。 そして、ますます主だけを信頼し、主だけに拠り頼む生き方へと導いてくださいますように。 そこにこそ、真の実り豊かないのちがあることを憶えて…。 御霊の照らしと導きがありますように。