今日の箇所(詩篇 82:1-8)には、指導者が陥りやすい罪について記されています。
この詩に登場する「神々」とか「いと高き方の子ら」という言葉は、この世における統治者や裁判官、すなわち民の指導者として立てられている特権階級にいる人たちを指しています。 そのような立場にいる人たちの権威や権力は極めて大きくなり得、神を彷彿させるほどであるということなのでしょう。
そもそも世に指導者を立てられたのは、すべてを造り、すべてを統べ治めておられる創造主・統治者なる神様です。 神様は、ご自分の代わりに、ご自分の律法に則って民を裁くよう、彼らをお立てになったのです。
しかし、権威や権力を持った人間は、それを自分の思いのままに用いたいという大きな誘惑に遭います。 自分の欲得に目が眩むと、悪者から賄賂を取って私腹を肥やしたり、弱者たちに不正な裁きを行うようになるのです。 権威のある者が公義を無視すれば、社会秩序は崩れます。 指導者として立てられた者は、公正と正義を重んじられる神様の代理人として、世を正しく裁き、弱者を顧みる責任があるのです。
誘惑に負けて、不正に走った指導者は、神様の裁きに遭います。 大きな権威と権力を手にして、思いのまま生きていると、自分の権力があたかも永遠に続くかのように錯覚し、高慢になります。 しかし、それは事実ではありません。 神様は、彼らもまた、いつかは死ぬ弱い人間に過ぎないことを知らしめられます。 神様は全地を治めておられる真の統治者であられ、すべての裁判官の上におられる最高府の裁判官として、不正な権力者を裁き、乱れた社会秩序を回復されるのです。
神様の恵みによって召され、神の民の一員とされた私たちは、自分でそう認めようが認めまいが、世を裁く者として神様に立てられた指導者に他なりません。 私たちには、神様から権威を受けて、世を正しく裁く使命が授けられています。 聖徒は、堕落した世にあって、世の風潮に流されず、神様が本来創造された世界を、公正と正義で回復していくべき使命を担っているのです。
自分もまた、神様によって世を裁く指導者の一人として立てられた存在であることを憶えたいと思います。 不正な世の風潮に流されることなく、神様のみことばの真理の上に堅く立って、真の裁き主であられる神様を畏れつつ、世に神様の公正と正義を回復する務めを果たして行きたいと思います。 神様に権威を委ねられてはいても、決して強い者の立場ではなく、常に弱い者の立場に身を置くへりくだりを持ち続けることができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。