今日の箇所(詩篇 81:1-16)には、定期的な礼拝を捧げる理由とその際の相応しい態度について記されています。
この詩は、イスラエルの祭りの時に歌われたものです。 つまり、神様に対する定期的な礼拝の際、歌われたものであるということです。 神様に喜び歌い、叫び声を上げ、あらゆる楽器を使用して神様を讃美し、礼拝する姿が描かれています。
神様は、かつてエジプトで奴隷生活をしていたイスラエルが呼び求めた時、奇しいみわざを起こして、強大国エジプトの支配から解放してくださり、自由を与えてくださいました。 神様は、時には信仰を試すために、ご自分の民を試練に遭わせられますが、苦しみの中で叫ぶ民の声に耳を傾け、責任をもって救い出してくださるお方です。
アサフは、そのことを詩の中で証しています。 礼拝は、過去、現在、未来が共存する場です。 現在捧げる礼拝には、過去の救いの記憶が含まれていなければならず、また、未来の救いに対する望みと期待が含まれていなければなりません。
救いの神様は、力ある神様です。 過去の救いの証拠を思い出し、力ある神様を讃美することこそ、定期的に礼拝を捧げる第一の理由です。 過去の恵みを思い起こし、救い主なる神様を讃美する時、たとえ現在、苦難のただ中にあっても、未来の回復を確信し、期待して待ち望むことができるのです。
礼拝はまた、神様のみことばに耳を傾ける時でもあります。 この詩の中にも「聞け」とか、「聞き従い」という言葉が複数回登場します。 これらは、皆、従順を強調している言葉です。 みことばに耳を傾け、守り行うことを強調するのは、そこにこそ、いのちと祝福があるからです。
出エジプトの大いなる救いのみわざを為された力ある神様は、イスラエルの民のすべての必要を満たすと約束されます。 ところが、彼らは聞き従うことをせず、神様を怒らせました。 その結果、神様は彼らを頑なな心のままに任せることで、彼らを懲らしめられました。
主のみことばから離れれば、堕落が始まり、必然的に罪の結果に苦しむようになって行きます。 逆に、主のみことばに聞き従うなら、神様が責任をもって栄えの道を開いてくださるのです。 望みある未来は、今、主のみことばに聞き従うというところから始まるのです。 定期的な礼拝は、その正しい態度を回復させるために必要不可欠なのです。
罪のしもべとして、世に振り回されて歩んでいた自分を救い出してくださった主の恵みを憶えたいと思います。 その恵みを思い起こし、現在の苦しみに埋没せず、未来の回復を期待するために、今日も神様に礼拝を捧げたいと思います。 みことばに聞き従おうとする者を、神様は決して見捨てることなく、必ずや救いの御手を差し伸べてくださるということを肝に銘じ、みことばに耳を傾け、示された罪から離れ、みことばに聞き従って行きたいと思います。 ここにこそ、いのちと祝福があることを憶えて…。 御霊の照らしと導きがありますように。