今日の箇所(イザヤ書 60:10-22)には、私たちの慕う神様は、その恵みが測り知れなく大きく、ご自分の民を永遠に愛し導かれる「逆転の神」であるということが示されています。
罪を犯したイスラエルは、神様の怒りに触れ、大きな懲らしめを受け、バビロン捕囚の苦難に喘ぎました。 しかし、彼らがその苦しみを通して悔い改め、立ち返ったかと言えば、そうではありませんでした。 依然、神様を信頼せず、不平不満ばかりを口にしていました。
しかし、神様は恵みと憐れみを施し、彼らを回復させると約束されます。 ここに神様の測り知れない大きな恵みがあります。 神様がご自分の民に回復の恵みを施されるのは、私たちが悔い改めて正しくなるからではなく、あくまでも神様ご自身の愛と恵みに基づいているのです。
神様は、崩れたイスラエルの町の再建に異邦人までも加わらせ、あらゆる高貴な材料を用いて美しく神殿を再建させられます。 そして、戦争の脅かしはなくなって平和が望み、誰もが昼でも夜でも自由にエルサレムに出入りするようになります。 この描写は、新約の時代になって、ユダヤ人のみならず、異邦人も主の教会を共に建て、そこでいつでも主を礼拝するようになることを示唆しています。
神様は、荒廃し、国々から無視されていたエルサレムを「永遠の誇り、代々の喜びの町」に変えてくださいます。 神様の恵みによって新しくされるエルサレムは、平和に満ちた、神様の栄光を輝かせる町となります。 そこでは、もはや太陽も月も必要なくなります。 神様ご自身の栄光が永遠の光となり、町を照らすからです。 この描写は、まさに黙示録の「新しいエルサレム」の描写とそっくりです。 この町に永遠に住むようになる -これが、神の民とされた私たち聖徒を待ち受けている栄光に満ちた未来なのです。
そして、この新しいエルサレムは、イエスさまが再び帰って来られる再臨の日に成就します。 これは、全能なる神様、すべてを統べ治めておられる神様が約束しておられることです。 これ以上確実なことはありません。 今、私たちがどれほど苦難を経験していようとも、どれだけ惨めな状態にあろうとも、私たちの最期はこのような栄光に包まれることになるのです。 私たちの神様は、最後にどんでん返しをもたらされる逆転の神様なのです。
この世でどれほど惨めで情けない、弱く貧しい状況にあっても、神様は最期に大逆転の恵みを与えてくださるというみことばに慰められます。 主が私のすべての涙を拭ってくださるその日、神様の栄光に共に浴するその日を期待して待ち望みます。 自分の弱さを見て恐れるのではなく、自分を支えてくださっている全能者を信頼して、堂々と立つことができますように。 主の再臨の日まで、常に目を覚まして、意識的に主と共に歩む生活を続けて行くことができますように。 御霊の照らしと導きがありますように。